そんななかで、バースが打率.389、47本塁打、109打点で2年連続三冠王に輝き、高卒ルーキー・遠山昭治が2完封を含む8勝を挙げたが、8月のロードで6連敗を記録するなど、最後まで浮上のきっかけを掴めず、60勝60敗10分の3位で終わった。そして、翌87年以降は15年間で最下位10度という暗黒時代に突入する。

 そんな長いトンネルを経て、2003年、星野仙一監督の大規模な“血の入れ替え”により、生まれ変わった猛虎は見事復活を遂げ、85年以来18年ぶりのリーグVを実現した。

 翌04年、岡田彰布新監督の指揮で常勝軍団を目指したチームも、前年のV戦士にルーキー・鳥谷敬、新外国人・キンケードが加わり、投手陣がやや不安というマイナス面を差し引いても「連覇を狙う力がある」と評された。

 4月は12勝12敗の五分に終わるも、4月30日から4連勝し、5月3日から25日まで首位をキープ。ここまでは岡田監督もチームをうまく乗せていた。だが、5月下旬から3勝10敗と急失速し、V争いから後退。前年13勝の伊良部秀輝、開幕時に3番を打ったキンケードが戦力にならなかったのも誤算だった。

 その後も阪神は勝ったり負けたりを繰り返し、8月31日から中日に3連敗して、事実上の“終戦”。優勝した中日に10勝18敗と大きく負け越したことが致命傷となり、連覇どころか、66勝70敗2分でBクラス(4位)に沈む結果となった。

 翌05年、雪辱を期した岡田阪神は、ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の最強リリーフ陣を確立。金本知憲、今岡誠らの打線で5回までにリードを奪い、“JFKトリオ”が抑え切る必勝パターンで、2年ぶりの栄冠を手にした。

 そして、前年の戦力を維持した06年も、「連覇を狙える総合力は十分ある」と期待された。開幕前にウィリアムスが左膝手術で出遅れたハンデを乗り越え、5月27日に単独首位浮上も、6月に久保田が右手首骨折で登録抹消、今岡も故障で離脱するなど、投打の主力のアクシデントも追い打ちをかけて、ズルズル後退。8月には首位・中日に9ゲーム差をつけられ、あきらめムードが漂いはじめた。

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