東京・目白台の旧田中角栄邸で火災。建物から白煙が上がる=東京都文京区目白台1丁目、2024年1月8日
この記事の写真をすべて見る

 自民党結党以来の古くて新しい「派閥とカネ」の問題が再噴出している。自民党の「派閥」とは何なのか。『田中角栄失脚』など自民党に関する著作も多数あるノンフィクション作家の塩田潮さんが解説する。AERA 2024年1月29日号より。

【画像】自民党の主な派閥がこちら

*  *  *

 今から約36年前の1988年3月、当時の竹下登内閣で官房長官だった竹下派の小渕恵三氏(後に首相)を取材した。小渕氏は自身の体験に基づき、自民党の派閥の内実を明かした。

「僕も昔、田中角栄先生からずっとモチ代をもらって、79年に大臣になった。政治家の派閥は運命共同体みたいなもの。若いときは世話してもらう。中堅になれば一本立ちする。もう少し力がつけば人の世話をする。それがこの社会の掟だ。ようやく一本立ちしたので、先生から盆・暮れに頂戴するのはご遠慮しようと断ったのです」

 モチ代は派閥の長が所属メンバーに定期的に配る年の暮れの資金で、夏は氷代と呼んだ。

 70年代後半から80年代の自民党長期政権時代、「三角大福中」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の5氏。全員が元首相)の派閥リーダーが党内で「不信と怨念の抗争」を繰り広げた。

リクルート事件に匹敵

 その後、88年7月にリクルート事件が発覚した。竹下首相や中曽根氏など、与野党のリーダーが未公開株式譲渡問題に関係していて大騒動となる。小渕氏の取材はその4カ月前だった。

 それから35年余、2023年11月にまたもや「派閥とカネ」の問題が表面化した。今回は派閥のパーティー収入の還流による裏金疑惑である。

 派閥からの還流資金を政治資金収支報告書に記載していなかった国会議員や、還流とその不記載への関与が疑われた派閥リーダーが多数、実在する。国民の不信が高まり、自民党にとってリクルート事件に匹敵する直撃弾となる展開も予想される。

 自民党は1955年の結党である。以後、93~94年と2009~12年の都合4年強の野党時代を除き、長期に政権を担ってきたが、「派閥とカネ」は結党以来の古くて新しい問題だ。

 派閥は自民党長期1党支配の時代、政権運営や国会と内閣の政策決定に大きな影響力を行使してきた。パワーの源泉は数の力で、武器は資金力である。数の力で政治を動かす自民党の派閥とはどんな存在なのか。

次のページ