派閥解消の動きも
それでも、国民の目は厳しくなる一方だった。自民党内からも派閥解消の動きが起こった。
最初に声を上げたのは福田赳夫氏で、76年の首相就任後、進んで派閥解消を決め、形の上で福田派も解消した。以後、自民党の首相は現在まで17人だが、在任中の派閥との関係では4類型に分類できる。
第1は完全無派閥首相。無派閥で政権を握り、在任中も無派閥だったのは菅義偉氏だけだ。
第2は派閥に属しながら派のトップではなくて政権に就いた首相。宇野宗佑、海部俊樹、橋本龍太郎(後に橋本派会長)、小泉純一郎(森内閣時代に森派会長)、安倍晋三(後に安倍派会長)、福田康夫の6氏だ。
第3は政権獲得で派閥会長の座を降りた首相。中曽根氏は派の会長を桜内義雄氏(後に衆議院議長)に譲り、自身は派の「名誉会長」に転じた。竹下氏は派の会長を金丸信氏(後に党副総裁)に任せた。ほかに宮沢氏(宮沢派会長は空席。会長代行は齋藤邦吉氏)、小渕氏(小渕派会長は綿貫民輔氏)、森喜朗氏もこのタイプに属する。
第4は就任後も派閥会長を兼任し続けた首相。大平氏、鈴木善幸氏、麻生太郎氏、岸田文雄現首相の4氏が該当する。
大平、鈴木、岸田の3氏は宏池会会長、麻生氏も別派を結成した宏池会系首相である。岸田首相は今回の裏金疑惑噴出後、あわてて在任中の派閥離脱を表明したが、首相就任後も「強烈な宏池会意識」を隠さず、頑として派閥会長に座り続けた。
小泉流と清和会支配
宏池会首相の時代、足元の派閥は、創始者の池田氏を除き、いつも党内第2位以下の勢力だった。政権の獲得でも政権維持でも、最大派閥の助力を必要とした。それが「派閥にこだわる宏池会首相」の第一の理由で、岸田首相も例外ではない。
党内最大派閥の地位は、76年の衆院選以後、田中派とその後継の竹下派が握り続けてきた。92年の竹下派の分裂の後、福田赳夫氏を始祖とする清和会(92年当時の会長は三塚博元蔵相)が一時、トップに浮上した。