自民党は野党転落を経て、社会党首相を擁する連立内閣の後、橋本氏を担いで首相のいすを奪還する。竹下派の流れの橋本派(平成研究会)が最大派閥に返り咲いた。
2000年、病気で退陣した小渕首相の後任に清和会の森氏が選ばれ、そこから20年の安倍内閣終結まで、麻生内閣の1年と民主党政権の3年3カ月を除いて、自民党では約16年、清和会出身の森、小泉、安倍、福田康夫の各氏が首相を務める政権が続いた。
印象的だったのは、小泉氏が登場の際、「自民党をぶっ壊す」と叫び、国民の強い支持を得て、長期政権を築いたことだ。旧来型の派閥政治を打倒して首相官邸主導による「政高派低」への転換を図る方針と評価した人が多かった。
小泉氏が自民党の病根である派閥構造の壊滅を企図したのは疑いない。併せて「ぶっ壊し」の標的としたのが旧田中派支配であったのも事実である。
小泉氏特有の突破力と破壊力で作戦は奏功する。ところが、小泉流「政高派低」政治の裏側で、新型の派閥体制となる清和会支配が進行していたのだ。
小泉内閣の終了後、第1次安倍、福田康夫、麻生の各内閣は国民の自民党離れ、民主党の台頭、清和会支配への逆風などに苦しみ、最後は2度目の自民党野党転落という結末となる。
官邸主導と政高党低
野党時代、自民党は宏池会の系譜の谷垣禎一総裁を担いで出直しを図るが、政権奪還の直前に清和会出身の安倍氏の総裁復帰を選択した。首相に返り咲いた安倍氏は、無派閥の菅官房長官との二人三脚で、「首相官邸主導」「政高党低」を目指した。