「派閥偏重では党の衰亡は必至」という危機意識は、リクルート事件発生前から自民党内でもゼロではなかった。旧田中派を受け継いだ竹下派で80年代後半に「派閥の近代化」に取り組んだ奥田敬和氏(元運輸相)が当時、実情を解説した。

「派閥はかつて経費面でもすべて親分に『おんぶにだっこ』式でしたが、派閥の自助努力でやる形にする。みんなで分担して自前でやっていく。派閥の総会では、そのときのテーマを選んで各専門分野の講師の先生方に時事問題などを解説してもらう。それをまとめて、派閥のパーティーのときに形にする。昔とは随分変わったと思います」

 派閥によるパーティー開催方式はいつ始まったのか、明確ではないが、強大な派閥ボスだった田中氏の政界退場と無縁ではないだろう。以後、パーティー開催が目立ち始めた。

 竹下、宮沢喜一(元首相)、安倍晋太郎(元自民党幹事長)の各氏たちの時世となり、資金集め明朗化の要請に表向き対応する必要が生じた。それだけでなく、ボスの集金力に依存する派閥運営も限界に近づいた。

 初の野党転落以後、自民党は「冬の時代」を迎える。94年の社会党との連立による与党復帰、98年参院選敗北で生じた衆参ねじれの克服を企図する99年からの公明党との連立と、与党の座の確保に血眼になった。

 並行して派閥のパワー低下が明らかになる。94年成立の政治改革関連法による衆議院の選挙制度の変更と、政党助成法による政党助成資金制度の導入が実現した。一時は「派閥の終わり」が始まったと受け止められた。

 政治献金問題では、92年に露見した佐川急便事件が転機となった。政治資金規正法の94年改正で、企業・団体からの政治家個人向けの献金が禁止となる。99年改正では、資金管理団体向けも禁じられた。

 だが、抜け道があった。政治資金パーティーは20万円以下の購入者を政治資金収支報告書に記載する必要がなかった。そのため、一気にパーティー集金方式が横行するようになった。

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