山田清機『寿町のひとびと』(朝日文庫)
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 母子手帳にはたしかに「出生の場所」という欄があるから、川崎生まれであることは間違いないのだろうが、川崎の何区なのか、何病院で生まれたのか、4月21日の何時頃生まれたのか、Yは自分の出生に関する情報をほとんど持っていない。

 現在Yは寿町の扇荘新館で暮らしている。この簡宿のことを「いまの家」と呼ぶ。いまの家・扇荘新館の帳場には、強面の岡本相大という人物が閻魔大王のごとく陣取って、出入りする人々に睨みを利かせている。

 Yを紹介してくれたのはこの岡本なのだが、いま、Yと岡本の間にはちょっとしたコンフリクトがあって、あまりうまくいっていないようだった。

 Yへのインタビューは都合2回。1回当たり3時間強の話を聞いたから合計で7時間近くになったが、2度目のインタビューの際には、帳場の前でYを待っていた私の目の前で、岡本がYを怒鳴り飛ばした。

「人を待たせてるんだから、早く行けよ!」

 岡本の大音声に気圧されて、Yは棒立ちになってしまった。

 岡本の怒りの理由もわからなくはないのだが、Yの生い立ちを聞けばYにも同情の余地はある。どちらの肩を持つにせよ、ひとつだけはっきり言えるのは、Yが生きるか死ぬかのギリギリの地点で岡本に出会ったということである。

 Yは川崎で生まれた後、同じ神奈川県の相模原や伊勢原界隈を転々として暮らしていたらしい。

 両親はYが幼いうちに離婚しており、Yは父親の顔を知らない。顔どころか、高校に入るまで名前すら知らなかった。

 ところが、実の父親を知らなかったにもかかわらず、Yの周囲には成人の男性が何人も、いや、ひょっとすると何十人も存在した。

「小学校3年になるまで、母がつき合う男性が変わる度にアパートを替わったり、男の家に居候をしたりして暮らしていました。その度に転校するのですが、同じ学校に1カ月通えればいい方で、だいたい2週間ぐらいで転校をするのが普通でした。だから、クラスで自己紹介をして2週間たつと、もうお別れ会なんです。もちろん友だちなんてできないし、毎回、誰ともしゃべらないうちに転校になっちゃって……」

 Yは自嘲のような、それでいてどこか他人事のような口調で小学校時代の生活について語る。家財道具はほとんど持っていなかったが、新しい住居には必ず見知らぬ男がいた。

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見知らぬ男のいる部屋の片隅で、いつも息を殺して生活していたY…