取材時の寿町地図
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 男の目当ては母親だったからYには何の関心もなく、Yはただ母親にくっついているもの、母親の付随物に過ぎなかった。

 Yの表現を借りれば、

「金魚の糞」

 だった。糞には積極的に関わってこなかったから、小学校と同様、Yは男たちと会話を交わすことはなく、何らかの関係を結ぶこともなかった。見知らぬ男のいる部屋の片隅で、いつも息を殺して生活していた。いや、棲息していたという方がしっくりくるかもしれない。

 小学校3年までに、Yがいったい何回転校したのかわからない。Yはそれまでに自分が通った小学校の名前を、たったの一校も覚えていないという。

 私は同情したり憐れんだりする以前に、Yのような小学生が存在したという事実に圧倒されてしまった。

 転機が訪れたのは、小学校3年から4年に上がるときのことである。母親が横須賀に住んでいる男と再婚することになったのだ。

 これまで同居していたのは、みな「見知らぬ男」だったが、Yに正式な「父親」ができることになった。そしてYも、金魚の糞ではなく正式な「子」となったのだ。おまけに、二世帯住宅で暮らすことになったため祖父母までできてしまった。新しい父親も新しい祖父母も、Yを子、孫として扱ってくれた。

 父親は消防士で優しい人物だった。勤務が変則的で家にいないことが多かったが、休日には消防士仲間を連れてきて庭でBBQをやったり、いろいろな場所に連れていってくれたりした。流転の日々から一転して、Yはごく普通の、平穏な日常を送れるようになったのである。

「二世帯住宅の2階に、自分の部屋をあてがわれました。部屋には父親がかぶる消防士用の大きなヘルメットが、普通に置いてありました。何不自由ない生活で、楽しかったです」

 小学校にも普通に登校することができた。成績も悪くはなかった。母親は学生時代、常にトップの成績だったと自慢していたから、なんとか母親に追いつきたいと一所懸命に勉強をして、クラスで9位という成績を取ったこともあったという。

 平穏な日々に亀裂が入るようになったのは、6年生の終わりの頃だった。

※【後編】「小6でペット殺害し盗みを繰り返したYが本当に欲しかったものとは?「完璧な母」という存在の軽さと重み」へつづく

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