浪人。冷静に考えると凄い呼び名だ。大学に落っこった後にまさか侍に準えられるなんて。拝一刀と大五郎が聞いたら怒るだろう。浪人中、私は傘も張らず楊枝も削らず予備校と家の往復しかしなかった。現役のときにあまりにも勉強しなかった(数学で0点をとったことがある)ので、知識を吸収するのが楽しくて楽しくて仕方なかった。偏差値が50から65くらいまでグングン上がった。家に居ても勉強しかしなかった。唯一観ていたテレビ番組は大河ドラマの「秀吉」だけ。段田安則演じる滝川一益が好きだった。大仁田厚の蜂須賀小六は暑苦しかった。竹中直人の局部がオンエアに映ってた……と評判になったっけ。

 いつも通ってた予備校近くのラーメン屋の有線で川本真琴のデビュー曲「愛の才能」がよく流れていた。どうにも頭から離れなくなって困った。「愛の才能」はそのラーメン屋で毎日ほぼ同じ時間に流れていた。その一年間は家族以外に口をきく異性がいなかった。べつにいなくてもよかったが、浪人の間に「付き合い」があった女性は川本真琴さんだけといってもよい。あとは「秀吉」でおね(ねね)を演じた沢口靖子か。茶々は誰だったか忘れた。人間の記憶などそんなものだ。

 落語はすでに好きになっていて、高校生のころから東京の寄席や落語会に足を運んでいたのだが、浪人の間は自粛して、自宅で落語のCDを聴くだけだった……。あ、一回だけ行ったのを思い出した。年が明けてお正月、いわゆる初席。寄席の世界では元日から10日までの興行を初席とよぶ。湯島天神にカタチだけの合格祈願に行き、その帰りに上野鈴本演芸場に寄った記憶がある。お詣りは口実で寄席に行くのが目的だったのかもしれない。

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