ウォートン校は、建物は変わっていたが雰囲気や緑の多さはそのままだった。創設者の1人の座像もちゃんと残っていた(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年1月15日号では、前号に引き続き三井住友フィナンシャルグループ・國部毅会長が登場し、「源流」である米国・フィラデルフィアを訪れた。

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 子どものころ、運輸省(現・国土交通省)で造船の技術者だった父の転勤で、何度か造船所に近い街で暮らし、小学校と中学校で5回も転校した。その度に、初めて会う同級生たちの何とも言えない目に迎えられ、つらい思いをした。でも、その間に、何事に遭遇しても「動じない心」が磨かれていく。

 東大経済学部を出て住友銀行(現・三井住友銀行)に入り、5年目の1980年に米国へ留学し、フィラデルフィアのペンシルバニア大学の経営大学院ウォートン校で2年を過ごす。全く縁がなかった海外で、様々な背景を持つ留学生らと交わり、実感したのが多様性。そこから「自分でも世界を相手にしていける」との自信が生まれ、転校を重ねて身につけた度胸と重なり、金融マンとして遭遇した難所を越える力となった。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 昨年9月、國部毅さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったと思う日々を過ごしたフィラデルフィアを、連載の企画で一緒に訪ねた。

科目で変わる顔ぶれ 議論の相手も違い触れた様々な世界

 留学中に授業を受けたウォートン校のヴァンス・ホールへいくと、もう授業にはほとんど使われてなく、卒業生の寄付でできた大きな建物が授業の中心になっていた。ヴァンス・ホールの前に立つと、思い出す。授業はクラス単位でなく、個々に専攻した科目ごとに別々の教室だから毎回、顔ぶれが変わる。ディベートと呼ぶ議論の相手も、違う。意見も考え方も様々な世界。自然、多様性に触れた。

 教室で会う院生の2、3割は女性だった。社会人になった後にも、より高みを目指す学び直し。いまや日本でも増えている「リカレント教育」「リスキリング」の場が、半世紀も前の米国で当たり前にできていた。2011年4月に三井住友銀行の頭取に就任して、すぐに手がけたのが、女性の活躍の場を広げるダイバーシティ推進委員会の設置だ。多様性が持つ力の結集の出発点は、ウォートン校での体験にあった。

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