光源氏についていえば、これを対権力観・対女性観の両者から考えることもできる。後者の女性観でいえば、『源氏供養』には彼にかかわりを有した女性たちの名が登場する

(「桐壺更衣」以下、「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」、さらには「花散里」そして「明石の君」等々)。注目すべきは女性への蔑視感が皆無だという点だろう。恋の成就の成否は別にしても、多情ではあったが、そこに“野暮”はなかった。「情を掛けた女性たち」への“マメ男”ぶりこそが、光源氏の真骨頂だった。この対女性への真摯さは、「貴族道」を構成する大きな要素ともいえる。

 そして、対権力観にあっては、“引き際”という身の処し方だ。たとえば、政敵の右大臣家との確執に敗北した折に、自らが都を去って須磨への流謫を選択したことだ。難を避けることで、“堪える”ことを自然体でなしえた人物といえる。式部が「光ノ君」を通じて提示したのは、そうした「貴族道」の世界でもあった。

 以上、ながめたように、『源氏物語』には、まさに光源氏という王朝人の行動が凝縮されていた。物語という叙述のスタイルを取りながら、『源氏物語』自体には、王朝人の心性が語られている。虚構世界ながら真実が伝えられている。史実云々では語り尽くせない、心の綾なり・彩りの描き方が“勘所”なのだろう。

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