ヴィッセル神戸の優勝で幕を閉じたサッカー・J1の2023年シーズン。このシーズンは、2022年7月の日本代表戦で右膝の前十字靭帯を断裂し、一度は「引退」を決めたものの、シーズン中に見事「復活」を遂げた宮市亮選手(横浜F・マリノス)にとっても、特別なシーズンとなった。宮市選手はなぜ、5度もの大ケガを経験してなお、前を向き続けられたのか。初の自著『それでも前を向く』で明かし、3度目の前十字靭帯断裂直後に冷静で居られた理由と、数々の苦難の果てにたどり着いた「前へ進むための思考法」の一端を、一部抜粋・加筆して紹介する。
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横浜F・マリノスで教えてもらったこと
吹っ切れていたとでもいうのだろうか。3度目の前十字靱帯断裂という大ケガを確信し、ピッチを退いたあと、ロッカールームに戻った僕は、状況をどこか冷静に考えることができていた。
試合に勝ち、優勝を勝ち取った日本代表チームのロッカールームには喜びがあふれていた。その雰囲気を壊したくなかった。自分の身に起きた出来事を泣いている場合ではないと思った。
優勝のために活躍した選手を、勝ったチームを祝福したかった。だから僕は、努めて平静を装った。「とにかくチームのため」。そんな思いだった。
過去に大ケガをした時には、まったくできなかった振る舞いだった。特に初めての大ケガ、ウィガンで右足首をケガした時はひどかった。他のチームメイトが全員で勝利を喜ぶロッカールームで、僕はずっと泣いていた。その時考えていたのは自分のことだけだった。
この時は違った。ロッカールームで、優勝を記念してみんなで写真撮影をした。笑顔を心掛けて、写真におさまった。作り笑いといわれればそうかもしれない。でも、本当に優勝がうれしかった。無理をしたつもりはない。日本のために、このチームでわずか3試合だったが戦うことができてよかったと、心から思っていた。
そう思えたのは、F・マリノスの一員になって、チームメイトに教えてもらったことが大きかった。