AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。33人目は、杉本昌隆八段です。AERA 2023年12月11日号に掲載したインタビューのテーマは「私のライバル」。
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杉本昌隆と藤井聡太。師弟の将棋人生はいずれも東海地区の人々に育まれるところから始まる。杉本が将棋を始めたのは小2の夏頃だった。
「典型的な初心者だった父に教わりました。取った駒が使えるところと、桂馬の動きがなんだか面白くて、好きになった覚えがあります」
杉本が小3のときに書いた一文には、父との手合は次のように記されている。
「さいしょはむずかしくて、二枚落でも勝てませんでしたが(中略)一か月ぐらいたったころには、平手で同じぐらいになりました」
ぐんぐん上達し続ける杉本少年は早くもその年の秋、名古屋市内の大会で一番下の級に出場。大人たちにまじって2勝3敗の成績を残した。
「そのときに審判をされていたのが板谷進九段でした。板谷先生に勧められ、森川益夫先生の『瑞穂将棋教室』にしばらく通い、それから大村和久八段(故人)の教室に行くようになりました。東海で小学生のライバルは何人かいました。6年の段階では、自分が一番強かったと思います」
杉本は東京に遠征し、小学生名人戦に出場した。
「準決勝で畠山成幸さん(現八段)に負けて3位でした。全国クラスでは強い子がたくさんいる、と感じましたね」
杉本は板谷門下として1980(昭和55)年、小6で関西奨励会に入会。当時としては比較的早く、棋士を目指すスタートを切った。しかし最初はなかなか勝てずに苦労した。
「まだ実力が足りていなかったのと、ほとんど3、4歳上の人ばかりで居心地もよくなかった。『年上に勝てないのはしょうがない』みたいに思っていたところもあり、プロ意識が全然足りていませんでした。阿部隆さん(現九段)は入会は私が1年先輩なんですけど、年齢は阿部さんが1歳上で、最初から強かったです」