そして82年。のちに「昭和57年組」「黄金世代」と呼ばれる一群の英才たちが、東西の奨励会に入会する。
「関東は2歳下の羽生善治さん、森内俊之さん、郷田真隆さん。関西は1歳下の佐藤康光さん(全員現九段)ですね。佐藤さんの入会一次試験、1局目で指したのはたぶん私なんですよ。佐藤さんは中1、私は中2で、私が負かされて。それまで奨励会にそもそも年下がいなかったので、年下に負けるという経験がなく、初めて『悔しいな』『努力が足りてなかったんだな』と思いました。佐藤さんは関東に移籍しましたが、そのうち仲のいい同世代が増えてきて、奨励会が居心地のわるいものではなくなった。14歳のときにはまだ6級でしたが、16歳のときには二段で、途中はかなり早かったんです。負けたくないライバルは1歳下の畠山成幸さん、畠山鎮さん(現八段)、村山聖さん(故人、九段)でした」
板谷一門には「振り飛車を指してはいけない」という教えがあった。しかし杉本は15歳の頃、自分の意思で振り飛車党に転向。これが棋風にぴたりと合った。のちに村山は杉本を「振り飛車党唯一の本格正統派」と高く評価している。
「それにはいろんな意味があって、よくもわるくも、という気がするんですけど(笑)。振り飛車党は『序盤から考えても、どうせよくなるわけないんだから』と流して、終盤で勝負というタイプの人が多かった。私は長考派で、時間を使ってリードを奪い、そのまま逃げ切るというスタイルを目指していて。その辺りを『正統派』と表現してくれたのかなと思っています」
(構成/ライター・松本博文)
※AERA 2023年12月11日号