9月末に開催したトークイベント「私たちのWell-beingとケアと文化、現在地の語らい」では、僧侶の松波龍源、内科医の占部まりなど多彩なゲストと対話を深めた(撮影/小山幸佑)

 なぜここが「イノベーティブ」と評価されるのか。安宅研太郎が設計を手がけた建物の中に入ると、違いはすぐに感じられた。吹き抜けのある開放的な木肌の広間には、円形のローテーブルやクッション、畳の小上がり、正面には大きなカウンターキッチンが配され、鍋から湯気が立っている。大きな窓越しには、絵画のような森の風景。絵本や小説が詰まった本棚、ピアノやパーカッション楽器と並んで壁にずらりと吊るされたドライフラワーは「朝市で売る定番商品」で、奥には子どもたちが集まるアトリエもある。

 さながら食堂のある文化コミュニティー施設。そういえば「診察室」はどこにあるのかと聞けば、階段を上がった2階の部屋がそうだという。その診察室は吹き抜けで広間とつながり、小窓から人々の談笑の声が届く。天気がいい日は縁側や森の中でも患者の話を聞き、常時三~五つのケアチームが地域を回っている。

 他の医療施設にはなく、ここにある風景はいくつもあるが、中でも特徴的なのは「働く人たちの姿」だろう。医療職の目印となる「白衣」を着たスタッフが見当たらないのだ。医師も看護師も介護士も普段着のまま働くため、ここでは「ケアする人」と「ケアされる人」の境目が曖昧に。病院ではタブーとされがちな笑い声が飛び交う時間の中では、「日常」と「医療」の境目も曖昧になる。そして、自らの肩書を「福祉環境設計士」と名付けた藤岡もまた、その境界線に立つ人間だ。

 メッシュカラーを入れた髪をなびかせ、古着の上着にアウトドアブランドのパンツを合わせ、長靴姿で、森をグングンと歩く。「幼い頃から冒険物語が大好きだった」と向ける屈託のない笑顔は、いかにも医療や福祉の“業界人”らしくない。しかしながら、この形容はある意味、正解と言っていい。なぜなら藤岡は、そのどちらの資格も有しない“素人”として、この世界に飛び込んだからだ。

「死にゆく人は決して弱い存在ではない。死にゆく人が人生を終えるその日まで、その人らしくなれる生命の表現があると信じている。多分、私はずっとその証明をしたくて、ここまでやってきたのだと思います」

 藤岡が「死のあり方」にこだわるのには理由がある。小学6年生のときに、自宅で父親を看取った。そのときの暗く重たい感情が、心の底に沈澱している。

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