時間を見つけてアートに触れる。10月に訪れた「わたしのからだは心になる?展」(東京都千代田区)では、鏡とディスプレーの仕掛けによって身体感覚を揺さぶられる「小鷹研究室」の体験装置などに夢中に(撮影/小山幸佑)

価値観を変えたギャル時代 英語が立ち直るきっかけに

 人を救う医師であり、芸術を愛し、頼れる存在だった父が、病に倒れた。1年半ほどかけて病院での治療の限りを尽くした後、自宅療養へ移行した。ベッドの上で日に日に痩せ細っていく父。同時に、家の中に笑いが消えた。「お父さんが病気なんだから冗談なんて言っちゃダメ」とたしなめられる意味が分からなかった。「患者」という名前がついただけで、弱い存在へと押しやられ、その人らしさを表現できなくなるのはなぜなのか、納得がいかなかった。

「お前たちだけでも楽しんできなさい」と、兄姉と3人だけで送り出されたクラシックコンサートや登山。山頂を父と眺めることができないのはなぜなのか。目の前に広がる風景は、生と死を分断する谷に見えた。最期に父をどう看取ったのか、あまり覚えていない。直視できない現実だった。ただ、「もっと父のためにできることがあったんじゃないか」という渇きだけが残った。

 父の死後、母も体調を崩し、入院。兄と姉は進学で家を離れがちになった。藤岡は消化しきれない気持ちを抱えたまま髪を染め、ピアスの穴をいくつも開け、「ド派手なギャル」という着ぐるみで寂しさを隠した。不登校になり、やんちゃなグループとつるみ、自暴自棄に陥る日々。どんなにグレても「可愛い」と言ってくれた祖父母のおかげで道は踏み外さなかったが、「行けるところが他になくて」夜間定時制高校へ。その環境は、藤岡の価値観を変えるほどのインパクトがあった。

 年齢がバラバラの同級生はみんな“ワケあり”。さらに昼間に働き始めたガソリンスタンドの同僚は、いわゆる「内縁の妻」として血縁のない子どもを育てていた。さまざまな事情を抱えながら、みんな懸命に生きていた。キャバクラやスナックのバイトも経験し、闇に落ちる大人を何人も見た。強烈な人生のサンプルに揺さぶられながら、自分の輪郭を求めたいという気持ちが芽生えた。

 転機は兄に連れて行かれたロックバーで偶然出会った年上女性。流暢に英語を操り、外国人の恋人の存在やアメリカで弁護士になる夢を軽やかに語る姿に藤岡はすっかり撃ち抜かれてしまった。「This is a pen.」の構文さえまともに知らなかった藤岡は、すぐにバイトを辞めて英会話の勉強を始めた。「私さ、英語の勉強をやってみたいんだよね」と勇気を出して言ってみると、担任以外の教師も手放しで喜んでくれた。

「それまでの私は、真っ暗闇の中にいました。でも、足元には無限に広がる道があるのだと気づけたんです。単純な夢であっても『なりたい自分』を見つけてそれを語るだけで、家族や教師が『よしよし、頑張れよ』と無条件で応援してくれることがうれしかった」

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