織田信長の庇護を受ける
前久の帰京後、義輝が三好三人衆に殺され、叔母の慶寿院が自害するなど波乱は続いた。さらに同十一年、織田信長が上洛し足利義昭が十五代将軍になると、前久は関白を解任され京を出奔する。義昭は前久の従兄弟であったが、兄義輝が暗殺された後、前久が援助しなかったことを恨みに思っていたらしい。以後、七年にわたり前久は畿内を転々とした。
前久が信長の許しを得て帰京したのは天正三年(一五七五)であった。すでに義昭は信長に追放されており、二人が敵対する理由はなかった。以後、前久は前関白として天下統一をめざす信長を助けた。帰洛直後に九州に下って島津氏と相良氏の和平を斡旋し、同八年には本願寺との講和交渉の使者を務めた。二年後の武田攻めでは一武将として従軍している。
二人には鷹狩りと乗馬という共通の趣味があり、個人的にも親密だった。前久は信長に優遇され、他の公家を大きく上回る所領をあてがわれたほか、同七年、誠仁親王が二条御所に入る際は、現職の関白九条兼孝をさしおいて行列を先導する栄誉を与えられた。