しかし、フィリピンから日本へ向かう女性の流れは、二〇〇五年に終わりを迎える。

 前年にアメリカ国務省が出した「人身売買報告書」の中で、日本のフィリピン人エンターテイナーに関して「人身取引の疑い」が指摘されたのだ。対応を迫られた日本政府は、興行ビザ発給の条件を厳しくし、それ以降、フィリピン人女性の来日は激減した。

 ただ、すでに来日していたフィリピン人女性と日本人男性には、多くの恋愛関係、婚姻関係が生じていた。そして、その間には多くの子どもが生まれた。

 子どもたちは「ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(JFC)と呼ばれている。

 JFCの中には両親が離婚し、フィリピン人の母親が一人で育てる家庭の子や、そもそも日本人の父親が法律上の結婚をしようとせず、未婚のまま母親が育てる家庭の子が少なくない。

 そんな歴史を背負ったJFCの母子が日本の社会で生き抜くなかで、西日本屈指の繁華街であるミナミへとたどり着くのだ。

 Minamiこども教室に通う小学生のジェニファーも、フィリピン人の母親と日本人の父親との間に生まれたJFCの女の子だった。

 母親のアンジェラさんは二〇〇〇年ごろに、興行ビザでマニラから東京へ移り住んだ。フィリピンパブのホステスとして、夜七時から朝六時まで働いたという。

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「フィリピンに帰りたい」