いわゆる「興行ビザ」は本来、海外から来日する歌手やダンサー、俳優といったエンターテイナーに出される在留資格だ。しかし一九八〇年代に入ると、興行ビザで来日して、パブやラウンジでホステスとして働くフィリピン人女性が増えていった。
その前史には、一九六〇年代のフィリピンで栄えた駐留米軍相手のエンターテインメント産業、性サービス産業の存在がある。一九七五年にベトナム戦争が終わった後、米軍は徐々にフィリピンから撤退していったが、その空白を埋めたのが日本からの買春観光だった。そして一九八〇年代、買春観光が批判を浴びて下火になると、現地に拠点を置く日本人業者を中心に、こんどはフィリピン人女性を日本へ働きに出す流れが生まれた。
フィリピン政府は経済政策の一環として、海外での出稼ぎを後押ししてきた。特に家事労働に就くフィリピン人女性は世界各地にいる。
その流れの中で、フィリピンから興行ビザで来日する女性も増え続け、二〇〇三年には年間八万人に達した。もちろんその数字の背景には、女性を搾取し、消費してきた日本国内の男性がいることを忘れてはならない。悪質なブローカーや店舗経営者が、ホステスに長時間労働や売春を強いたケースも明らかになっている。