――役を演じることを「容れ物に入る」と表現し、常に誰かの人生を生きていたいと願う。
真木:それが生きることそのものになってしまっているんです。演じない期間が何カ月も空いてしまうと、自分が何者なのかわからなくなる。だから事務所にも、「役をずっと与えていてほしい」とお願いしています。
演じているときは「こういう人だよ」って正解を与えられているから、その人として生きていけます。でも、それを取られて裸のまんまの私になったとき、「次、何やるのが私なんだっけ?」って。感情がぐちゃぐちゃになるんです。
ただ、役をやっている間は、私生活に支障のない程度に役をベースとして生きようと思っています。昔はうまくコントロールできなくて、荒々しい役をやったときは行動もがさつになったりしていました。今は経験も積んで、「この役を引きずると危ないな」と思ったら、オンとオフのスイッチを切り替えられるようになった。日々成長だと思っています。
すべてを知るのは怖い
――映画のテーマの一つに、「人をわかろうとすること」がある。かなえという役を通して、「人をわかる」ことへの答えは見つかったのだろうか。
真木:大切な人や愛している人のことを考えて、寄り添って理解しようとすることが大事だと思っていて。(夫の悟を演じる永山)瑛太が言った「本当のことなんて誰も知りたくないんだよ」というセリフも、なんとなくわかる気もするんです。すべてを知ってしまうことって、恐怖でもあったりするから。だからこそ、歩み寄ろうとしている姿勢は愛情として相手に伝わるんじゃないかな。
でも、歩み寄ったときに悟みたいな相手を受け止められるのかって話でもあるんですけど(笑)。答えや正解がないからわからないですよね。そこがこの映画の本懐というか、見てもらって、おのおのに考えてほしいんです。