「有名人ではなく地域の人々で、深く何かを研究し、洞察した人を描くのが面白いと思ったんです」
いっぽう、長田は、杉山に言われて初めて「牧野富太郎」という人物を知る。
「演劇で植物学は……。植物標本の緻密な部分は、手元をクローズアップしない限り、どうしようもない。だから、ずっと心の底にしまっていました」
それから十数年、ようやく日の目を見た「らんまん」の物語は、大好評のまま、最終回を迎える。放映を誰よりも待ち望んでいたのが、長田の母親だ。膠原(こうげん)病で長年、入退院を繰り返した。最期は自宅で看取(みと)ろうと退院させ、家族が介護した。
「朝ドラを書くことになったよ」
リリース発表の日、長田が語りかけた。すると母親は、こう答えたという。
「小説は書き上げられた?」
長田は首を横に振って、語りかけた。
「朝ドラだよ。小説じゃないよ」
「でも、あなたは小説を書きたいって、ずっと言っていたじゃない」
長田は柔和な表情で、やりとりを振り返る。
「母の中で朝ドラは無事に終わった前提で、その先に私が小説を書いて、それもうまく書き上げられるように、って言ってくれているんだな、って」
長く話したのは、それが最後になった。5日後、母親は天に召された。母親の最後の言葉が、執筆の孤独を支えてくれた。
「らんまん」劇伴の作曲を担った音楽家の阿部海太郎(45)は、こう語る。
「長田さんは北極星。絶対的に揺るがない。だから、北極星だけを道標として曲をつくりました」
ここ数年、長田戯曲の数々の劇伴を相次ぎ手がけてきた。今回は重厚な弦の調べも含め約90曲の楽曲を制作し、すべて生の楽器で録音し臨んだ。
「長田さんの戯曲の美点は、必ずラストで圧倒的な何かに向かうこと。長田さんっていう人自身に、それを感じます。作りたい作品が、一度も揺らぐことがない。同世代の作家として励みになる。僕らの世代の表現者は、戦前・戦後を跨(また)いだ世代の人たちと比べ、勉強が足りているか危惧があります。でも長田さんには、そこに対抗できる大きさと視野の広さがある。脅威ですらある。自分も頑張らないと」
長田の編む物語の登場人物は皆、思いもよらぬ運命に翻弄(ほんろう)される。観る者の心は、そのたび揺さぶられる。けれども最後には必ず、光射すほうへ向き直す描写を織り込んでくれる。それこそ北極星のように、漆黒を照らす唯一無二の光として。
「北極星ですか……。だとすれば、私はそれしかできないのかもしれません。この先、北極星を必要としてくださる人がいるなら、作品を書いていく。そんなふうになれたらいいと思います」(長田)
言葉を磨き上げ、流転する運命をすくい上げ、長田は等身大の人間を描いていく。
(文中敬称略)(文・加賀直樹)
※AERA 2023年10月2日号