
「今日、ここで上演する劇団さんが、上演後にお茶会をするって言っているから、観ていけば」
客席で観た作品に感動し、長田は終演後に俳優とスタッフたちに声を掛けて回った。そのうちの一人が、杉山至(57)。劇作家の重鎮・平田オリザの盟友の舞台美術家だ。杉山は言う。
「長田さんが目を輝かせ『美術の人を探していて、お願いできませんか』って、台本を渡されたんです。天文学に関する内容でした。僕の兄(天文学者の杉山直(なおし)・名古屋大学総長)が宇宙物理の専門で興味があったから、二つ返事でOKしました」
その舞台に立っていた俳優で演出家の扇田(せんだ)拓也(46)も、笑って振り返る。
「終演後に、『すいません、これ良かったら』って台本を渡されました。それがすごく良かった。でも衝撃でした。こんな頼み方があるのかと」
翌年、長田の主宰する劇団「てがみ座」は、王子の小劇場で旗揚げ公演を迎えた。杉山は長らく舞台美術として、扇田は演出も担うようになる。運をつかみ、縁を繋ぎ、長田は物語を紡ぎ始めた。
「てがみ座」はハイペースで公演を重ね、ファンを増やした。新宿の老舗喫茶店「らんぶる」で、長田と打ち合わせを重ねた扇田は語る。
「長田さんは、胸に秘めていた『とっておきの言葉』に向かうための物語をつくる。取材では必ずその場所に出向き、主人公が育った村や町のにおいをかぐんです」
商業演劇に自信喪失の日々 心の柔らかい部分を使う
まるで海の底に潜るようにして言葉を探しあて、台本にしていく。たとえば詩人・金子みすゞを題材にした作品「空のハモニカ」(2011年)の際には、世間の思い描く「聖女」イメージとは異なる描写でみすゞを綴(つづ)った。扇田は続ける。
「長田さんが、みすゞの生い立ちや日記を読んで、『もっと生々しい、たいへんな人間関係の中で、泣きたい思いがあったからこそ、美しい詩を書いた』って。長田さんは、埋もれていった人たちの魂をすくい上げる」
民俗学者の宮本常一(みやもとつねいち)、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)──。単なる評伝劇としてではなく、現代人に通じる「ひととしての矜持(きょうじ)」を刻み記した。
「てがみ座」に軸足を置きつつ、長田は活躍の場を順調に広げていく。14年、戯曲「地を渡る舟」が岸田國士戯曲賞候補作に、そして16年には、戯曲「蜜柑(みかん)とユウウツ~茨木のり子異聞~」が鶴屋南北戯曲賞に輝いた。
この「蜜柑と~」を世に送り出せたことが、大きなターニングポイントになった。じつは商業演劇に関わり始めた頃、演出家によって脚本を突き返され、役者の力量に即した台詞へ変えられ続けるつらい経験をしていた。自信喪失の日々を送るなか、どうにか書き上げたのが、「蜜柑と~」だった。演出を担ったのは、劇作家でもあるマキノノゾミ。彼は最初に脚本を読み、こう語りかけた。