この道を歩むまで、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に勤務していた。「坪内逍遥は劇作家の大先輩です」(撮影/品田裕美)

 劇作家・脚本家、長田育恵。朝ドラらんまん」の執筆中、長田が特に考え抜いたのは登場人物の言葉だったという。「作家として書きたいだけなのか、本当にその人物に必要な言葉なのか」。そこには、劇作家・井上ひさしから研修生最後の日に受けた助言があった。スポットを当てる人物たちは決して派手ではないが、その等身大の生きざまには、いつも希望がある。

【写真】「『らんまん』ファン感謝祭 in 高知」に登壇した時の様子

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 スコールのような雨が降りやむと、鬱蒼(うっそう)と生い茂った木々や草花たちは、一斉に、みるみる輝きを増していった。9月のある日、長田育恵(おさだいくえ・46)は、高知新聞の記者に誘われて高知県立牧野植物園を散策していた。地元の植物学者・牧野富太郎博士(1862-1957)の功績をたたえ、五台山(ごだいさん)に広がる約8ヘクタールの園内には3千種以上の植物が植えられている。劇作家・脚本家として演劇、ミュージカル、テレビドラマの世界で活躍の場を広げてきた長田は、牧野富太郎をモチーフに描いたNHK連続テレビ小説「らんまん」の脚本執筆を終えたばかりだ。どこか安堵(あんど)の表情を浮かべつつ、自身の牧野像について語ってくれた。

「究極的には、草花を愛するということを伝えた人。戦争など厳しい時代になってくると、草花を愛するなんて心は真っ先に捨てられます。でも、ひとが持っていても良い、当然の美しい心なのだと世に伝えてくれました。最大の功績です」

 牧野富太郎は高知の小学校を中退し、独学で植物学を修め、上京後は東京大学で助手、講師を務めた。「日本の植物分類学の父」と呼ばれる。

「らんまん」執筆中、長田は強く思っていたことがある。数々の新種の植物を探し当て、新しく名付けることは、相手の「本当の名前」を見つけることでもある。植物の氏素性を知り、性質や特徴、どこで生きるかも調べ抜いて初めて「本当の名前」を特定できる。この解釈を、長田は人物描写にも当てはめた。名前を持った一人ひとりがどう生き、死んでいったのか。長田は常に意識し続けた。

 だからなのか、長田によって生み出される登場人物は、誰もが好もしい。誰ひとり徹底的には憎めない。一人ひとりの人物像を、彫刻刀のように、言葉でこつこつと造形していった。

登場人物の目になって 初めて台詞が書ける

「植物を題材にすることは、地面に一番近い視線から、人の暮らしを描くことでもありました」

 千本ノックのような執筆の日々が続いた。

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