奥田:自分にはまだ、「寂明」を名乗る資格がないと思ってて、どうしても「瑛二」って書いちゃうんです。
夏井:分かるような気がするなあ。寂聴さんが「あなた、寂明ね」と俳号をくださった。その有り難さが分かっているから、なおさら簡単に使えない。
奥田:まさにその通り。
夏井:俳号は、自分で付けても問題ないものだから、先生から頂いた場合には、それが自分と一体になるまでに時間が必要な場合もあるんだろうね。
奥田:先日も色紙に「瑛二」と記したら、ある人から「なんで『寂明』とお書きにならないんですか」と訊かれまして、「いや、瑛二でいいんです」としか応えなかった。だって、いろいろ説明すると最悪の場合、「自分にしっくりこないから、使っていない」と思われてしまう可能性もある。それは避けたかった。
「寂明」という俳号は、「自分を支えてくれる」と言ってもいいほど、寂聴さんから頂いた人生の宝物なんです。
僕は俳優からスタートして、絵描きにもなって、映画監督もしているけど、「死ぬ間際までできるのは、監督業だけ」と思っている。なぜなら俳優や絵描きは、途中で体力が尽きてしまう可能性が高いから。長いセリフが覚えられなくなったり、思うように体が動かせなくなったり、絵描きだって結構な体力を使うからね。
そう考えると、俳句も、死ぬまでずっと続けられるなと。僕にとっては、唯一の文学でもあるし。だから独学とはいえ、品性を保ちながら詠んでいきたいんです。
夏井:それが、奥田さんが俳句をやる時に自分にかけた「枷」なんだ。
奥田:はい。むしろ俳句は、枷をかけて一生続ける価値があると。だからかな……「寂明」という俳号は非常に恐れ多くもあり、同時に力づけてもくれる。今、自分から名乗らない理由は、この俳号が真に僕の原動力であるからかもしれない。
夏井:ズドンと腹に収まる話だったなあ。