大きな寺は差し入れが多く、朝食のテーブルにはたくさんの料理が並ぶ。食事の間、こっそりネコと遊ぶ少年僧=2005年、カンボジア(撮影/長倉洋海)
大きな寺は差し入れが多く、朝食のテーブルにはたくさんの料理が並ぶ。食事の間、こっそりネコと遊ぶ少年僧=2005年、カンボジア(撮影/長倉洋海)
この記事の写真をすべて見る

 これまで68カ国を訪れ、世界中の紛争地やアマゾンなどの辺境の地を中心に取材を続けてきたフォトジャーナリストの長倉洋海さんは、レンズを覗きながら「幸せってなんだろう?」と考えることが多かったという。そんな長倉さんが各地の子どもたちのいきいきとした姿を集めた写真集『元気? 世界の子どもたちへ』(朝日新聞出版)の発売に合わせて、インタビューを抜粋して紹介する。

【もっと写真を見る】川を越え家に向かうアフガニスタンの少女

*  *  *

 幸せってなんだろう?

 お金や便利なモノがなかったら不幸なのだろうか? よくそんなことを考えます。

 2011年、学生時代以来38年ぶりにミクロネシア・ポンペイ州のカピンガマランギ島を訪れました。ミクロネシア最南端にあり、ポンペイ島からヨットで5日間もかかるのです。以前は月1回の定期船があったのですが、今は3カ月に一度だけ。ぼくはヨットをチャーターして向かうことにしました。世界のどこでもインターネットが使えるような “便利”な時代のはずなのに、そんな便利さとはかけ離れた世界があるんだと思い知りました。島の人は38年前と同じように、お金や効率を一番に考えるのではなく、自分のリズムを大切に生活していました。

 徒歩15分で一周できる小さな島なので、島内を一通り写真を撮って歩いても時間がたっぷりあります。ぼくも海で珍しい貝を拾ったり、漁網をリサイクルしたハンモックで昼寝をしたり。日本ではなかなかできないゆったりした時間を過ごすことができました。

 島にはコンビニエンスストアやファストフード店もないし、車もスマートフォンもありません。島外との通信手段は無線機一つだけです。ドクターヘリも来ないので、緊急の病気の治療はできません。どうして病院や便利なものがある本島で暮らさないのかと聞いてみると、「ここが好きなの」と答えるのです。島に住む人たちは便利な生活よりも島ののんびりした暮らしを選んだのです。「ここではお金が必要ないし、のんびり生きられるから」と話す人もいました。

 シベリアのトナカイ遊牧民ネネツの人ひとたちは、一本の木も生えないツンドラ地帯でトナカイのえさを求もとめてソリで移動し、テントで暮らすとてもシンプルな生活をしています。それでも人々は「ここに生まれて幸せ」と話してくれました。

 ミクロネシアの人も、シベリアのネネツも、アフガニスタンの人も私が訪れた国の人はみんな自分の生まれた場所とそこでの生活が大好きなのだと実感しました。

 コソボで出会ったザビット一家は、戦火を逃れて数カ月間も山の中に身を隠す暮らしを強いられましたが、母サニエは「モノはなくても家族がいれば生きていける」と話していました。

次のページ 「つらくて楽しくて、悲しくてうれしい」どちらもあるのが人生