1981年に長男、84年に長女が生まれたときも、研究生だから、誰に迷惑をかけることもなく自由に休めた。夫がオーストラリアとフランスに留学したときは、私も子連れで一緒に行きました。フランスには0歳児と3歳児を連れて半年滞在した。フランスの国立科学研究所は私も研究員として雇ってくれました。それで日本で保母さんを雇い、同行してもらった。パリとグルノーブルの2カ所に滞在して、思う存分研究もでき、楽しい半年間でした。
日本に帰れば、私は研究生で、子どもたちは保育所です。そこで、夫は父親教育されたと思います。奥さんの尻に敷かれているように思われるのは好まなかったと思うのですが、保育所でほかのお父さんたちからダメ出しをされたりして、当時の保育所は、親も育ててくれましたね。
毎週のように土日は、保育所仲間の誰かの家に集まって一緒にごはんを食べた。私が保育所に子どもを迎えに行けないときは、誰かがうちの子を連れて帰ってきてくれて、私もよその子を連れて帰ることもある。保育所の資金集めのために廃品回収や古本・古着販売などもして、本当に家族ぐるみの付き合いでした。
ただ、学童保育はなかったので、小学校に上がったあとは「かぎっ子」になりました。下の娘が中3の秋から私は京都に行ってしまい、そのときは上の息子も大学受験の時期でしたし、子どもたちにもう少しやってやればよかったという後悔は自分の中にありますね。
――京都に行くときは、お子さんたちに説明されたんですか?
記憶は定かではありませんが、子どもたちが反対することはなかった。保育所育ちの子なんで、「いつも一緒にいることが普通」という感覚ではなかったのかも。
私は京都行きが決まってからすぐに運転免許を取って、毎週末、京都から岡崎に帰りました。でも、ウィークデーは夫にお任せです。もともと朝ごはんは夫が作っていたのですが、それに加えて、晩ごはんも、娘のお弁当も作った。高校生の女の子は、父親と距離を取りたがる時期だと思うのですが、仲良くやってくれたのはありがたかった。