鎌倉・長谷寺近くにある廣瀬がオーナーの「カフェ スタンド ブロッサム」。「甘酒はすごい身体にいいんだけど、認知度が低くて。日本のいいものを世界に広めていくことも使命だと思っています」(撮影/小山真司)

「東芝ブレイブルーパスにはまだ慶応から誰も入っていなくて、僕が初めてというのも選んだ理由でした。合同練習で参加させてもらったときからいい雰囲気だったし、慶応のシステマチックなラグビーと違って、個人の判断でボールを動かしたりして有機的で面白そうだと思ったんです」

リーダーシップを取るため嫌われることを恐れぬ決意

 2004年にチームに加わった廣瀬は、3年後の07年にキャプテンを任される。

 だが、26歳のキャプテンの前には、これまでぶつかったことのないような壁が次々と現れ始める。

 廣瀬が初めてキャプテンを任された年、東芝はトップリーグのベスト4で敗退している。

 シーズンの終わりに廣瀬は部員からアンケートをとり、インタビューを行った。成績不振に終わったシーズンを振り返り、何を感じていたかを忌憚(きたん)なく書いてもらったのだ。

 結果は散々だった。曰(いわ)く「リーダー不在だった」「何考えているのかわからへん」「ついていきたいリーダーじゃなかった」……。

「ここまで書かれるのかとショックでした。ただ、前のキャプテンのときに頑張ってきた人たちが、頑張れなくなっている理由って、どっちにあるって考えたら、僕なんですね。自分が何を大事にしているか、どういうチームをつくりたいかがちゃんと伝えられていないんだと反省しました。社会人になると年上もいるし、自分より上手(うま)い人もいて、プレーだけじゃリーダーシップはとれないんです。嫌われることを恐れず、言うべきことは言おう、というところからスタートしました」

 キャプテン廣瀬は、中高大とガツガツ言うことは避けて、部員の意見を聞きながらうまくまとめていく、というスタイルを貫いてきた。相手を尊重し、話を聞き、衝突を避けて穏便にというタイプだったのだ。しかし、雑多な幅広い層が集まってくる東芝に来て、前に出るところでは出ないと思いは通じない、ということも痛感したのだ。

 キャプテン2年目を迎えると、チームは少しずつまとまりを見せ始め、調子を上げていく。

 そんなある日、チームの外国人選手がタクシーの運転手とトラブルを起こしたというニュースが飛び込んでくる。企業チームが最も避けなければならない不祥事だった。

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