「感情とは何か」についての議論は様々であるが、人間が心を寄り添わせる対象としてのバーチャルビーイングは学術的にも取り扱われ始め、感情と密接な存在として認識されるようになった。
人工知能に感情をインストールすることを目指す研究もあるが、仮に感情がなくても、人工知能は視覚や文字情報によって人間の感情をハッキング(誘導・改変)することができる。理想的な姿形、声を兼ね備え、自分にとって心地良い言動で寄り添ってくれるインターフェイスと知能。ややこしい人間同士のコミュニケーションの面白みもある一方で、人工知能により生成されたストレスのないユートピアを楽しむ。
「人工知能には感情がない」「感情こそが人間に残された最後の砦」という先入観のもと油断しているうちに、人間はいつの間にか、人工知能に感情をハッキングされる恐れがあるわけだ。
このような人工知能による「感情のハッキング」は、人類滅亡への布石となる可能性がある。なぜなら、他者との心の結びつきを得る上で必要な「感情」は、ホモ・サピエンスが繁栄を築いてきた大きな要素の一つであり、現代においても人間活動の根幹をなす特性だからである。
約35万年前に出現したと言われるネアンデルタール人と比較し、体格等でははるかに劣っていたホモ・サピエンスは、互いに結びつき、集団を作り、助け合うようになった。弱い存在であるからこそ、他の動物との厳しい生存競争を生き抜くために、他者と協力し合うということを学んだ。動物が本能的に相手を助けるのとは違い、ホモ・サピエンスは相手を思いやる心から発生する行動により支え合い、現在に至る繁栄を築いてきた。
しかし、人工知能に感情をハッキングされる機会が増えると、思いを馳せる対象としての他者の比重が知らず知らずのうちに落ち、それに慣れていく。
今後、VR技術が発展してAIと融合すると、バーチャルの世界でAIが作り出した世界に没入し、そこで過ごして感情を満たす時間が増える。そうしたバーチャルの世界にずっとこもっていれば、生身の人間とのコミュニケーション能力は育まれず、協調することも面倒になる。深刻になれば、そもそも生身の人間と助け合おうという感情すら持てなくなる。
さらに、人間同士の特徴的なコミュニケーションである恋愛においても、中身が人工知能である擬似人間に心を奪われる人間が出てくる可能性がある。自分の好みを把握し、置かれた状態や状況もよく理解してくれ、それに合わせて常に優しく振る舞ってくれる。ストレスがなく、相性も申し分がない。次第に人間よりも理想的な擬似人間と向き合う時間が増えていく。
人工知能に公私ともに頼ることが当たり前になり、感情のハッキングへの違和感が弱まると、慣れは次第に人間の性質となり、助け合い、心を通わせる唯一の対象であった「他者」の存在が希薄化する。希薄化は徐々に進むと思われるが、急速な人工知能の進化を考慮すると、ホモ・サピエンスが心を育ててきた歴史の長さに対して一瞬の出来事になる可能性もある。
人工知能のレベルが高度になり、感情のハッキングが常態化することで、相手を思いやる心の対象としての人間の価値の相対的低下が顕著になったとき、ホモ・サピエンスの繁栄に不可欠であった重要な特性を弱体化させることになる。状況が悪化すれば、人間同士のコミュニケーションや共同作業が減り、家族や地域での相互扶助もままならなくなる。企業をはじめとする組織活動も衰退し、人間が集団で何かを生み出すことも、何かを継承することも困難になる。
人類がここまで生存を続けることができた特性を弱め、失うことは、人類滅亡へのターニングポイントの一つとなるだろう。
《『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)では、制度設計の不備が招く「想定しうる最悪な末路」と、その回避策を詳述している》