7月13日の夜、首相指名選挙が行われ、立候補したビター氏の得票数は324票。52票足りなかった。
首相選びの混乱はここからはじまった。首相指名選挙で過半数をとるための連立工作が熱を帯びることになる。
タイの選挙の特徴は、開票後、有権者には見えにくい水面下で連立工作が行われることだ。与党と思って投票した政党が、野党になってしまうことは珍しくない。そして、この連立工作は一筋縄ではいかない。
20年以上続いている政局の混乱が尾を引いているのだ。
発端は2001年、タクシン元首相がタイ愛国党を率いて与党に躍り出るところからはじまる。タクシン家は通信事業を手がける新興財閥である。彼はそれまでタイの政権を動かしてきた既得権グループとは違う支持基盤づくりに成功した。
選挙で無敗のタクシン派
貧しい農民層への救済政策を次々に打ち出していく手法は、階級利害調整型ともいわれるが、東北タイを中心にした農村から圧倒的な支持を集める。
それは富めるバンコクと貧しい地方という、タイの構造を逆手にとったものだった。バンコクを中心に動いていた政治を、農民が支持しているかとも受けとれる構図に塗り替えていく。それを支えたのが選挙だった。農村という大票田を手に入れたタクシン派は、選挙では無敵だった。
これに対して黄色派といわれる軍や守旧派は巻き返しはかる。タクシン氏を追放し、裁判所は解党命令も出す。しかし赤派といわれるタイ愛国党はタイ貢献党に名前を変えるなどして対抗する。