最後に打者の“逆転劇”を紹介する。

 高校時代はともに主軸を担うライバル同士だったが、ドラフトの指名順位を逆転したのが、多村仁(横浜-ソフトバンク-DeNA-中日)だ。

 横浜高時代、紀田彰一(横浜-西武)のあとの5番を打った多村は、94年夏の2回戦、那覇商戦では、紀田が4打席すべて勝負を避けられた結果、「力み過ぎちゃって」8回2死満塁のチャンスで遊ゴロに倒れるなど、無安打に終わり、チームも敗れた。

 同年のドラフトで紀田は中日との競合の末、横浜が1位指名。多村も横浜から4位で指名され、プロでもチームメイトになった。

 高校通算41本塁打の紀田に対し、多村は14本塁打と差をつけられていたが、3年目の97年に紀田より1年遅れて1軍昇格。その後も肩の故障を乗り越えて、04年に40本塁打を記録するなど、通算10打数1安打に終わった紀田を逆転した。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。
 

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