「相手側の感染対策の方針に従って、コロナ特別班として4班がリモート取材も加えながら、情報共有して動いてくれた。最初は4人をまとめて1本の番組にしようと思ったんですけど、それぞれ独立して放送しました」
リモートで収録可能に
2週間ほどの取材で仕上げ、20年4月12日には河岡さんが、翌週には坂本さんの回が放送された。人に会うことが難しい中、県外に行かずに取材できる人、一人で黙々と何かを作っている人などの取材を増やしつつ、2〜3週間と短い取材期間で、こだわった番組を作ることで乗り切っていった。
緊急事態宣言が出てすぐ、中村さんはもう一つ大きな決断をする。情熱大陸には欠かせない窪田等さん(72)のナレーションを、窪田さんが自宅で収録できるようにシステムを整えたのだ。窪田さんは安堵(あんど)した。
「最悪、これで穴をあけずにすむ、と思いました。家で録れるなら、コロナになって熱があっても、声さえ出れば何とかなる」
4月中旬には、窪田さんは自宅の半地下にある寝室から、中村さんや他のスタッフは別の場所から、リモートでの収録となった。心配していた音は、オンエアを聞くとスタジオ収録に近い音だった。
その後1年ほどは自宅収録を中心に、感染者が少ない時期はスタジオで、と使い分けたという。バイクが近くを通ったことで録り直したり、雷で収録を中断したりすることもあったが、窪田さんにとって良かったのは、自宅でもスタジオでの収録と同じように、映像を見ながらナレーションをつけられたこと。
「僕は映像を頭から最後まで全部見ながらテストをして、そのあと本番を録る。ドキュメンタリーは流れを知らないと『そして』という言葉でも違ってきますから。流れにあったナレーションをしていかないと、意味が違うだろうと思うので、映像を見られるようにしてくれたのは本当によかったです」
3日間で番組1本制作
最大のピンチは22年9月に訪れた。急遽(きゅうきょ)、番組を1本作らねばならなくなったのだ。オンエアまで3日。しかし、中村さんはコロナ禍で「チームで作る」という選択肢を手に入れていた。
制作会社「ネツゲン」のディレクター、望月馨さん(42)に電話が来たのは、ちょうどロケの最中だった。中村さんからの着信に嫌な予感がした。
「もしもし」
「今日、行けますか」
「え、ちょっと待ってください」