そして――素手で闘った農民たちは勝ったのである。
71年7月7日、米軍は土地接収の断念を発表した。66年の最初の通告以来、強制接収を可能とする「即時占有譲渡命令書」を17回も通告しながら、米軍はまさに「一坪たりとも」奪うことができなかったのだ。
昆布闘争の勝利は、沖縄の民衆史にとっても輝ける記録として刻印される。
だが――いま、佐々木さんの表情はさえない。
歌が生まれてから56年。その間、さまざまな現場で歌い継がれてきた。いまも、辺野古で歌声が響き渡る。
「その現実に、打ちのめされているんです。まだ、歌わなければいけないのかと」
米軍基地をめぐって闘争が続く。その現実は、以前と変わらぬ不平等と不均衡、そして沖縄への差別が続いていることを意味する。
さらに。
「たとえば、ひろゆきさんの件。辺野古を訪ねて、運動の現場にいる人を笑った。デマを交えて、闘いを侮蔑した。そのことが……」
一瞬の間を置いてから、佐々木さんはぽつりと漏らした。
「許せないんです」
「座り込み」という言葉をめぐる不毛な議論が端緒だったが、その後、本土の「識者」をも巻き込み、「運動のあり方」「座り込みの是非」といった方向に流れた。
許しがたいのは、そこに乗じて運動に関するデマが飛び交うことだけでなく、何よりも、少なくない者が「運動」そのものを嘲笑したことにある。
佐々木さんは、しょげかえったような声で話す。
「昆布闘争のときだって、批判はあった。暴力による脅しもあった。でも、笑われたことは……なかった」
私たちはいま、そんな時代を生きている。生真面目に語るほど、被害者が被害を訴えるほど、理不尽に対して抵抗するほど、嘲りの言葉が返ってくる。
だが、忘れてはなるまい。
社会を変えてきたのは嘲笑ではなく、怒りと信念である。
「尊厳が奪われない限り、私たちは負けないと思うのです」
そんな佐々木さんの控えめな言葉こそ、私は社会を変える大きな力になるのだと信じている。
だからあえて私は叫ぶ。何度でも繰り返す。
笑うな。必死に生きている人を嘲るな。