2022年「2チャンネル」創設者として知られる「ひろゆき」こと西村博之氏のツイートによって、ネット上では辺野古に注目が集まった。辺野古の米軍新基地建設に反対する「座り込み」はSNSの「ネタ」となり、「笑うものたち」は後を絶たない。しかしジャーナリストの安田浩一氏は、真剣な怒りを無効化させる「笑い」を醜悪だと強く非難する。人々は闘うことで、怒りを表現することで世のなかを変えられるのか。安田氏の新著『なぜ市民は"座り込む"のか――基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し紹介する。
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「座り込み」が動かした歴史
「基地反対の座り込みなんて意味がない」「金もらってやらされてるだけ」――“ひろゆき騒動”を端緒にそのような声がネット上であふれるなか、どうしても会いたい人がいた。
佐々木末子さん(74)。「座り込み」によって、沖縄の歴史を変えたひとりである。
私は佐々木さんが通っている市民団体の事務所を訪ねた。
話を聞きたいのはもちろんだが、お願いごとがあった。
言いたくてうずうずする。でも、いまじゃない。そんな葛藤を繰り返しながら、佐々木さんの話を聞くこと約2時間。ようやく私は切り出した。
歌っていただけませんか――。
おそるおそる私が懇願すると、佐々木さんは少しばかり困った表情を見せた。
「歌えるかなあ。人前で歌うなんて何十年ぶりだし」
照れたような表情を見せる。そりゃあそうだ。いきなり訪ねてきた記者を前に、歌を披露することなど躊躇して当然だった。
でも、佐々木さん、居ずまいを正した。咳ばらいをひとつ。あっ、歌ってくれるんだ。
〈東シナ海 前に見て わしらが生きた土地がある この土地こそは わしらがいのち 祖先譲りの宝物〉
静かな、しかし海面にじわじわと波紋が広がるような、優しく潤うるんだ歌声だった。
「一坪たりとも渡すまい」
基地建設に抵抗する農民の歌だ。1967年に完成したこの歌は、いまも辺野古の新基地建設に抗議する現場で響く。辺野古だけではない。理不尽に怒る沖縄の人々の間で、半世紀以上にわたって歌い継がれてきた。