オリックス阪神の5年間で通算159本塁打を記録したアリアスは、04年オフに阪神を退団したあと、ナショナルズのマイナーを経て、メキシカンリーグのティファナ・コルツでプレー。05年は打率.304、23本塁打、06年も来日直前まで打率.272、19本塁打と安定した成績を残していた。

 そんなアリアスに触手を伸ばしたのが、小久保裕紀の故障離脱や新外国人、ジョー・ディロンの不調などで6月を6勝19敗と大きく負け越し、打線強化を急務とする巨人だった。本拠地・東京ドームで通算21本塁打という相性の良さも決め手になった。

 7月3日に来日したアリアスは「日本で経験のある外国人として新しい風を吹き込むことができればいい」と力強く抱負を語り、同5日の中日戦に6番レフトで出場、3打数1安打を記録した。

 さらに7月9日の広島戦では7回に大竹寛からバックスクリーン左への特大2ランを放ったが、試合は3対4で敗れ、「うれしい気持ちも負けてしまっては半減だ」と残念がった。

 だが、アリアス加入後もチームは7月14日まで8連敗と低迷。アリアス自身も打撃不振に陥り、7月30日の中日戦では三振と三ゴロ2つと精彩を欠いた。

 結局、この試合を最後に2軍降格。打率.167、2本塁打でシーズンを終え、「チームを救済できず申し訳ない」の言葉を残して退団した。

 最後に登場するのは、「印象が薄い」どころか、1試合も出場することなく電撃退団帰国したロッテ時代のロバート・ローズだ。

 横浜時代はマシンガン打線の中心打者として99年に打率.369で首位打者と打点王に輝くなど、6年連続3割以上をマーク。“横浜史上最強助っ人”の名をほしいままにした。

 ところが、2年連続リーグ最多安打を記録した00年オフに横浜との契約交渉がまとまらず、退団帰国。以来2年間、日米のどの球団からも声がかからなかった。

 その間、ローズは地元・コロラド州の高校で野球部のコーチを務めながら、再び選手としてプレーする日を目指して、トレーニングを続けていた。

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