受験生たちを苦しめる長文読解。中学受験の大手塾が今年度実施した小学6年の国語の問題用紙には、B4サイズの紙5ページにわたって問題文が掲載されていることが判明した。一方で、受験を控えた中高生たちは「国語以外」の長文にも苦しんでいるという。AERA 2023年8月7日号の記事を紹介する。
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実は読む量が増えているのは、中学受験や国語に限ったことではない。高校受験や大学受験の他の教科でも起きている。
新英語教育研究会で研究をしながら、都内の中学校で教壇に立つ吉岡潤子さんはこう語る。
「都立高校の英語の長文問題が長すぎるために、丁寧に読んでいると問題を解ききれない子が続出しています。結局、出題された段落だけを読み解答するテクニックが身につき、長文を読む力が育たなくなっているのです」
数学も国語力がないと
パターン化された問題を解くために、問題に関連する段落だけを読んで解答するようなテクニックを対策として教えなければならず、本来の英文を深く読み取る力は育てづらくなっているという。
数学も例外ではない。代々木ゼミナールで京大数学を教える竹内充さんは言う。
「数学のテストだから数学の能力が問われていると思っていると、合格はできません。まず、国語ができないとダメなんです。論理的に答えを導かなければなりませんから、それには読解力が必要です」
「大学入学共通テスト」も同様だ。2023年の数学・Aの入試においては、1問は選択式であったものの、「太郎と花子の対話文問題」が2問も出題された。
「国語力がないと解き終わらない。せめて『太郎と花子』問題は、数学・A、数学・Bとで1問ずつにしてほしい。数学のテストなのですから」(竹内さん)
あらゆる科目で読むことが重視される中、善方さんは学校の国語の授業の見直しが必要だと言う。入試だけでなく、仕事や生活の上でも、情報処理能力は必須だ。多量な文章でも誤読せず、ポイントでは精密に読んで理解し、処理する能力を、私たちは身につけなければならない。しかし、今の学校教育では、それは身につかないというのだ。
読み切れる量にすべき
実は国語教師の間でも「今日の授業は、なんの役に立つのか」ということが長年議論されている。「文章読解の方法」を教えるのではなく、具体的な文章の意味内容や心情をなぞる授業は、「内容主義、心情主義」などと言われ、批判の対象となっている。例えば新美南吉著の『ごん狐』の授業で、ごんや兵十の気持ちを理解することはできる。しかしその読解は次の物語文の読解に生かされることはない。つまり「一般性、普遍性のあるルール」を学んでいないのだ。算数に例えるなら、公式を教えずに、ひたすら問題を解かせるようなものだ。