――え、高校時代に?
いえ、卒業してから。20歳から3年間ぐらい引きこもって、大学に入ったのは23歳なんですよ。現役のときは奈良県立医科大学を受けました。医学部しか受けさせてもらえなかったので。不合格になり、一応予備校に行かせてもらったんですけど、要するに行きたくない、勉強したくない、ってなってどんどん引きこもり始めた。父は「早く家を出て行け」というタイプだったから、うちの近所の学生用アパートに放り込まれたんです。うちは長崎大医学部のすぐそばで、周りに学生用アパートがいっぱいあった。ご飯は家に帰って食べていいけど、寝たり勉強したりはそこでやれ、と言われて。
私は歯学部に行きたいと思っているのに、父は譲らなかった。あ、私は一人っ子です。で、最後は医学部と歯学部がある大学を受ければ誤解するだろうと思って、長崎大歯学部を受けました。父は医学部を受けたと思っているから、わかったときはもうすごくお怒りでした。「おめでとう」と言われた記憶ないです。
――へえ~、つらい日々でしたね。
でも、アパートの近くの商店街に本屋さんがあって、学生さんが来ない時間帯に毎日行って、本を立ち読みしていました。雑誌もあるし、小説もあるし、片っぱしから。大学に入ってもアパート暮らしで、父は学費を出してくれなかったので、ずっとアルバイトをしていました。
――え、お母さんがこっそり渡してくれたりしなかったんですか?
しないです。母は染織とか洋服のデザインとかをしていましたけれど、勉強のことは興味がなくて。アルバイトは家庭教師と、ピアノですね。ホテルのラウンジなどで弾くといいお金になって、ピアノをやっていて良かったなと思った。奨学金ももらいました。大学院を終わったとき、奨学金が668万円もあって、もうどうしようって思いました。
――それを返済しないといけないんですね。
返しましたけどね。
――素晴らしい。
最初は研究者になりたいと思っていたわけでなく、ただ開業をするつもりもなかったので、病院に歯科医として勤めるにはどうしたらいいかを調べたんです。そうしたら、大学院を卒業していないと、病院歯科には勤められないということがわかった。その病院の数もそんなに多くない。それに、当時の歯科は根拠がよくわからない基準値みたいなものがまかり通っていて、その基準値が大学によって違ったりしていたんですよ。これって、私が考えていた科学の世界と違う、と思って、この世界は無理だわと思い始めた。今は歯科の世界も科学的根拠を重視するように変わってきていると思いますけど。