それで、大学院では公衆衛生学を勉強しようと思い、歯科医で公衆衛生学者になった方に相談して、結局、地元の長崎大医学部の大学院に入りました。そうしたら、「大学院は勉強するところだから」と言われ、家に戻してもらえた。
――医学部に移ったからですか?
いや、医学部はあんまり関係なく、大学院ではアルバイトをして勉強の時間を削られるよりはしっかり勉強しなさい、という感じでした。親類縁者には大学の先生をしている人も多く、大学院に進むことは誰からも反対されなかった。
■ 「東京にいたいんです」と学長に話したら…
――それで、無事に博士号を取得した。結婚の話などはなかったのでしょうか?
地方と東京って、様子がずいぶん違うんですよ。地方で医学部を卒業した女性って本当に結婚していないです。もちろん結婚している人もいますけど、学生時代に見つけられなかったら結婚していないという感じですね。私は大学院を卒業したときには668万円の借金を背負って、就職先もなくて、34歳で、友達に「結婚なんて無理やろ」って言われて、自分でも「そうだよね」って普通に思いました。
まあ、独身で好き放題やってきた感じですね。
――順天堂大学の教授に「来ないか」と声をかけられて「行きます!」と即答できたのも、しがらみが何もなかったからなんでしょうね。そこから長崎大に移ったのは、どういう経緯で?
順天堂の教授が早期退職されたんです。それで次の仕事を探さないと、と思っていたとき、当時の長崎大の学長から「やってほしい仕事がある」と声をかけられた。そのころ、東京近辺のいろんな現場に行ったりもしていたので、「東京にいたいんです」と学長に話したら、「いや、東京事務所を動かしてほしいんだ」と言われて。
――長崎大学が東京事務所を持っているんですね。
はい。それで、広報戦略本部の准教授として5年の任期で働くことになりました。これが大変でした。一番大変だったのは、事務所の引っ越しを迫られたことで、(霞が関近くの)内幸町エリアでいい場所を見つけて何とか期限内に移った。そうしたら文部科学省にも近くてすごくいいって、後から室蘭工業大学や弘前大学も入ってきた(笑)。
国立大学はやはり文科省と連絡を密にする必要がある。国の審議会などは傍聴できるものも多いので、できるだけ参加して国の動きをウォッチするのも仕事の一つでした。おかげで国の動き方みたいなこともわかるようになりました。