就職4年目に妊娠しました。私は仕事を続けるつもりだったし、上司も理解があった。保育園は遠かったんですが、近くに良いベビーシッターさんがいたので、その人に預ければいいと思っていた。無事に出産し、病院から「よろしくお願いします」と公衆電話でシッターさんに伝えたら、「家の都合でやめることになった」と。あわてて八王子市役所(東京)に相談しましたけど、預け先が見つからず、4月初めに退職しました。
退職する前に人事に相談に行ったんです。日立には、出産退職して子どもが2歳になったら復帰できるという制度があったので、これを使いたいと。そうしたら「制度はあるけど使った人はいません」と言う。「私が第1号になります」と言ったら「第1号をつくりたくありません」。
――いやはや、ひどい対応……。
でも、ある日立の子会社に嘱託という制度があったので、その年の9月にそこに入り、週に2日出勤で、それ以外は在宅勤務という形で働くことにしました。出勤日には母に家に来てもらった。勤務先は、以前と変わらない日立中研です。
◆子どもの受験期間は会社は二の次
――植物工場の研究を続けたんですか?
いや、私が配属されたのは、コンピューターで扱う文字を拡大しても縮小してもきれいに見えるようにするという研究チームです。「スケーラブルフォント」っていうんですけど、そのアルゴリズムを研究した。
そうしたら、2人目ができました。嘱託は産休をもらえなかったので、翌年9月に退職した。コンピューター産業では何年もブランクがあったら復帰できないと思っていたら、以前にアルバイトしていた塾の数学の責任者が勤める「ダイナックス」というコンピューターソフトのベンチャー企業に1年半後に入ることができた。
――そこではどんなお仕事を?
モーター制御のプログラミングや、大学受験塾向けの物理や化学のCG教材づくりをしました。いろんな仕事を任されたので、やりがいはありました。従業員20人ぐらいの小さな会社で、とても柔軟で、会社に行って仕事をする時間もフレキシブル。だから、小学校のPTAの会合は全部出たし、PTA役員もやった。子どもが5年生の2月から1年間は午後3時になったら家に帰って弁当を作って子どもを塾に送り出していた。6年生の1月末から受験が始まるじゃないですか。その1カ月は仕事を休みました。だから子どもの受験期間は、子育てがメインで、会社は二の次、みたいな感じでした。