撮影:伊奈英次
撮影:伊奈英次

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 1990年8月15日、伊奈英次さんは靖国神社を訪れた。右翼を撮影するためだった。

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「前年の1月7日、昭和天皇崩御の際、皇居前広場を訪れたら右翼の人たちが集まっていたのが気になった。終戦記念日に靖国神社に行けば右翼を撮れるんじゃないかと思った」

 靖国神社を訪れた伊奈さんは衝撃を受ける。そこで目にしたのは、旧日本軍の軍服姿で隊列を組み、参道を行進し、神殿前で敬礼する高齢者の姿だった。

 さらに靖国神社に反対するデモ隊、それを阻もうとする右翼、間に入る警官、マスメディア……。

「もうとにかく、靖国神社にはさまざまな人がいっぱい来ていた。その人たちに声をかけて撮影した。92年から本格的に撮影を始めて、約10年間。あのころが最高潮でしたね」と、伊奈さんは言う。

 2001年、小泉純一郎首相(当時)が参拝すると、終戦記念日の靖国神社をマスメディアが大きく報道するようになった。

「すると、神社は隊列を組んで行進するような行為を禁止したんです。なので、この写真は貴重な記録だと思います」

撮影:伊奈英次
撮影:伊奈英次

昭和天皇崇敬会の腕章

 作品を見て一番気になったのは、彼らが身につけている軍服だ。

「戦争のときに着ていた軍服を奇麗に保存している人もいれば、リフォームしたり、いろいろですよ。トランクケースみたいなもので運んできて、神社の森の中で着替える人が多い」

 伊奈さんは撮影の際、人物の背景にこだわった。太いヒノキの柱や石灯籠(どうろう)、暗い植え込みなどを背にすることで情感を盛り上げている。

「神社の壁の前に右翼の人に並んでもらったり、軍服姿の人たちに森の中に移動していただいたり。そういう演出は結構しています。そんなお願いを聞いてもらえたのは『昭和天皇崇敬会』の腕章のおかげですよ」

 そんな腕章をどうやって手に入れたのか? いきさつを尋ねると、「この人に出会ったんです」と言う。

 見せてくれた写真には、大きな菊花紋章の下で敬礼する白い軍服姿の人物が写っている。

「この人が昭和天皇崇敬会のメンバーだったんです。撮影した写真を送ったら、『会いたい』って、連絡がきた。それで、お会いしたら、『これまで靖国神社でたくさん写真を撮られたけれど、こんなに奇麗な写真を送ってくれたのは、あなたが初めてだ』と言われた」

 この元指揮官は戦時中、中国大陸に赴き、終戦後はシベリアに抑留されたという。92年8月15日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に出席した後、靖国神社を訪れ、伊奈さんと出会った。

「撮影をきっかけに交流が始まって、昭和天皇崇敬会の腕章をもらえた。それで、右翼のお兄さんとかに声をかけても、比較的簡単に撮れるようになったんです」

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なぜ若者が軍服を着るのか