
途中で引き返すことはないのか?
「引き返すことはないですね。というか、登山口まで行って、無理だと判断したら、登りません。台風以外でもそういうことはたびたびあります。そもそもぼくは撮影した写真を発表するために山に登るわけですから、帰ってこられないような危険を感じたら山に入りません」
とはいえ、予想外の危険と遭遇したり、判断ミスを冒してしまう可能性はゼロではない。
「これまで危険な目に合わなかったのは、かっこよくいえば、自分の読みが当たった、ということなんですけれど、とてもラッキーだったと思います。予測より状況が悪くならなかったわけですから」

黒部川に潜る
作品のなかには水中写真もある。透き通った水の中を泳ぐイワナがぎっしりと写っている。
「黒部の撮影はイワナ釣りから始まったので、水中も撮りたいと思いました。最初は荷物が重たくなるのが嫌だったので、ズボンだけのウエットスーツを持っていって、潜ったんですけれど、水が冷たすぎて20分もつかっていられなかった。それで、断熱性能の高いドライスーツを使うようになりました」
透明な水中ハウジングにカメラを収め、イワナが集まる深い淵(ふち)に潜った。
「ぼくは水中写真は素人なので、イワナが逃げちゃうんですよ。経験がないと魚の撮影は難しいことを痛感しました。シャッターをたくさん切っても、納得のいく写真はなかなか撮れないので、何回も潜りました」
黒部の撮影は50代前半まで
今、秦さんは53歳。
「60歳を過ぎれば黒部をテーマに撮ることはたぶん、できないでしょう。アプローチが長いので体力がもたない。体力を使いきってしまえば、集中力も切れてしまう。当然、リスクも増してくる。そうなれば、他の人に迷惑をかけてしまうかもしれない。なので、50代前半までに撮り終える。期限を切って撮影しないと次のテーマに進めません」
秦さんは黒部以外にも、八甲田山(青森県)、白神山地(青森・秋田県)、紀伊半島の山々、屋久島(鹿児島県)などを並行して撮影している。
「歳とともに撮る対象を変えなければならない。体力の続くかぎり撮り続けたいですが、死ぬときは山でなくて、下界で死ぬ。山で働く人に迷惑をかけてはいけない、というのはすごく思いますね」
インタビューを終える際、作品のなかにカエルの姿を見つけた。
「ヒキガエルです。めちゃくちゃたくさんいるんですよ。ちょっとグロテスクなんですが、『無事カエル』というのを入れたくて、選びました」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】秦達夫写真展「風光の峰 雲上の渓 黒部源流の山々」
OM SYSTEM GALLERY 6月29日~7月10日