深く切れ落ちた谷へ落下する豪快な放水が観光客を魅了する黒部ダム(富山県)。黒部川の急峻さはダムの建設を題材にした小説『黒部の太陽』(木本正次)、『高熱隧道(ずいどう)』(吉村昭)などでも描かれてきた。
その源流は富山、岐阜、長野の県境をなす北アルプスの中央部に位置する。どの登山口からも遠く、たどり着くのに山道を歩いて2日かかる。「最後の秘境」と呼ばれるゆえんである。
入山者が比較的少ないこともあって、黒部川源流はイワナの宝庫であり、フライフィッシングの聖地としても知られる。
秦達夫さんは8年ほど前、釣り好きの仕事仲間から「奇麗な景色があるからぜひ見てほしい」と、黒部川源流行きに誘われた。
「黒部って、厳しいイメージあるじゃないですか。実際、黒部ダムの下流の『下ノ廊下(しものろうか)』と、上流の『上ノ廊下(かみのろうか)』というルートはすごく険しくて、遭難した人も多い。だから、ぼくにはちょっと無理かな、と思ったんですけれど、すごくいいところだと言うので、行ってみた」
紅葉が始まる前の9月。富山県側から入山し、標高2373メートルの太郎山を越え、黒部川へ下った。フライフィッシングに挑戦すると、イワナが釣れた。魚影は驚くほど濃かった。
「釣りだけでなく、仲間と一緒に温泉に入ったり、散策したりして過ごした。それまでの黒部のイメージとは違って、黒部川の源流部はとてもおだやかで、雄大な山の包容力ややさしさを感じた。それを写真で表現できたらいいなあ、と思うようになりました」
登るときは愚痴ばかり
本格的に撮影を始めると、黒部川の源流だけでなく、槍ケ岳にも登り、黒部の山々を写した。
ただ率直にいって、槍ケ岳や穂高岳と比べると、黒部の山はなだらかで地味である。
「確かに槍ケ岳や穂高岳は派手だし、山の形がかっこいい。絵になる山だと思います。でも、自分のテーマとして撮るものではないな、と思いますね」
山容が控えめ、ということもあるが、黒部の山を撮る写真家は少ない。そこへいたるアプローチが非常に長いことも撮影のテーマとして敬遠される理由だろう。
「もう本当に大変で、登っているときは愚痴ばっかりです。歩いても歩いても着かなくて、『なんで俺、こんなところに来ちゃったんだろう』みたいな気持ちになる。でも、到着すると、すばらしいところなので、ずっと通ってきた」