黒部川の源流部はたどり着くのが大変なだけでなく、山域も広い。そのため、撮影する場所によって入山ルートを変える。多いのは富山県・有峰湖から太郎山を経由して入域するルートで、南側の岐阜県・新穂高から双六(すごろく)岳を経由して黒部に入ることもある。
「宿泊は山小屋とテント、両方とも使います。山小屋泊まりだと荷物が軽くて済みますが、朝食や夕食の時間が撮影の時間と重なりやすい。なので、タイミングがうまく合わない場合は、テントを使います。いずれにせよテント場は山小屋が管理していますから、山小屋の存在は撮影にとって大きい」
油断すれば死ぬ世界
毎年、撮影は5月の連休ごろにスタートする。太郎山にある太郎平小屋のスタッフとともに深い残雪の斜面を登る。
春とはいえ、低気圧の寒冷前線が通過すれば吹雪となり、一瞬にして冬山に逆戻りする。なので、ピッケルやアイゼン、ヘルメットなどの冬山装備は欠かせない。
「ぼくが取材中、遭難事故がありました。登山者が太郎平小屋に向かう途中、すごい吹雪に遭遇して動けなくなった。小屋のスタッフが迎えに行ったのですが、残念ながら亡くなりました。山って、やさしい面もあるけれど、油断すると、とても危険です。ほんの数時間前までは大丈夫だったのに、天候が急変すればあっけなく人が死んでしまう。そういう世界だということをすごく感じます」
作品のなかに、青空と新雪が美しいなだらかな稜線の写真がある。遭難の翌日に写したものという。風を避ける場所もなく、ここで吹雪にさらされたらひとたまりもないだろう。
秦さん自身、登山道から滑落して血まみれになった人や歩けなくなった登山者を助けた経験が何回もあるという。
台風は撮影のチャンス
夏になると、日本付近を台風が通過する。それは撮影のチャンスでもある。
「台風が抜けるときって、雲の表情がすごくいいんですよ。空もよく焼ける。もちろん、毎回うまくいくとはかぎりませんが、いい写真が撮れる確率が高くなる」
そのチャンスをつかむには、台風が過ぎ去る前に現地にいなければならない。
「台風が関東付近を通過すると、黒部は台風の西側に位置するので、東側ほど風雨が強くならない。それを狙って登ります。とはいえ、台風ですからザックはびしょぬれで、重くなる。気温はそれほど下がりませんが、雨風のなか、本当に俺、何をやっているんだろうって、思いながら登る」