ステーキやイクラだけでなく、相撲時代はいろいろなものの味を覚えたもんだ。当時大関だった大麒麟さんがタニマチに呼ばれてお座敷がかかったときなんかに、俺は付け人の中でも上の立場だったから、「ついて来いよ」と呼ばれたりもするんだよ。そこで、ふぐちりやふぐ刺し、九州ではクエ、向こうではアラと呼ばれてるけど、その鍋を食べたり、ご相伴にあずかっているうちにどんどん舌が肥えていくんだ。
さらに大文字さんという先輩力士は、外で飲んでいると部屋に電話してきて「今から帰るから、そうめんを湯がいておけ」と俺ら下っ端に言いつけるんだ。大文字さんはつゆもちゃんと鰹節でダシを取らないと怒るし、市販のめんつゆだとすぐにバレちゃうから、俺たちは「面倒くさいなぁ」と言いながら、夜中にダシを取って、そうめんを茹でたもんだ。
だから俺は今でもつゆは自分で鰹節と薄口醤油で作るし、結婚した後に女房にそのつゆでそうめんを作ってやったら「美味しい!」て、つゆまで飲み干していたから、味は折り紙付きだ。大文字さんが作っていた、鯛そうめんも作り方を真似て、俺が寿司屋をやっていたときに名物料理として出したりもしていたからね。
本当に相撲時代は、若くしていろいろな味を覚えたよ。大鵬さんとか大麒麟さんとか舌の肥えてる大文字さんがいたから、けっこういい食べ物が俺たちにも回ってきてたからね。その代わり「味付けはちゃんとこうやるんだ」って、きちっと仕込まれた成果が出ているわけだ。
相撲時代に味を覚えて、プロレスに転向した後、九州でジャンボ鶴田と俺とでお座敷にかかって、懐石料理が出てきたことがあった。俺が「おお、この味はいいな」と思って食べていたら、ジャンボがおもむろに立ち上がって、どこに行くのかと思ったら外にラーメンを食べに行っちゃった。
彼は味が濃くて腹いっぱいになるものがよくて、懐石料理をちまちま食っているのは性に合わないんだ。地方巡業ではどこに行っても、その辺でラーメンを食べていたし、ファンの目を気にしないおおらかさがあった。それがジャンボらしいところだよね。