9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、勝負メシにまつわる思い出を語ってもらいました。
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俺の勝負メシ、プロレスで大事な試合の前に食べたのはやっぱり、肉。ステーキが多かったね。俺がステーキを初めて食べたのは、相撲の世界に入ってすぐ、14歳ころに俺を相撲界に誘ってくれた人に連れられて行った、東京・錦糸町の「ヤマキ」という店だ。
14歳からステーキを食っていたんだから、なかなか贅沢だろう。福井の田舎から出てきたばかりの兄ちゃんが食べたんだから、そりゃあ美味しかったよ。一番最初にステーキを食べた店だから、すごく印象に残っているんだ。
この体験があったからだろう、プロレスに転向してからは、気合を入れるときはステーキだ。店でも食べたし、当時付き合っていたお姉ちゃんが肉を買ってきて、家で焼いてくれたのを食べたりね。プロレスラーはみんなステーキが好きだよ。
俺がいた二所ノ関部屋は、場所中の初日と中日は決まってすき焼きだった。たしか、三和銀行が毎回、大量の牛肉を差し入れてくれていたと思う。相撲部屋に贈るくらいだから、とんでもない量の肉だよ。
それでも、当時の二所ノ関部屋には70人くらいの力士がいたから、幕内と十両、幕下の上の方と順に食べて、俺ら下っ端が食べられるころには、すき焼きなんかもうないのよ。俺たちは、タマネギを追加した残りの汁をご飯にかけて食べてたもんだ。あのころは、大横綱の大鵬さんの全盛期でも下っ端まで肉が行き渡らなかったほどだけど、それでも、うちはいい方だったんじゃないかな。ほかの相撲部屋は、おして知るべきだね。
俺は入門してから5~6年経って、ようやく肉のある場所に座れるようになった。すき焼きの牛肉を食えるようになるまでずいぶん時間がかかる世界だよ。しかも、それでも、生卵をつけて食べられるようになるのは、そこからさらに2~3年かかるんだ。