暗い海の波にもまれ、小さなボートで決死の脱出行をするシリアの難民少女の苦境も、豊かで恵まれた戦後日本の、男性優位社会でぬくぬく生きてきた男の小さな失恋であってさえも、そこに軽重はない。「生きる地獄」という意味では、等価だ。
暗い地中海のボートで本は読めないが、陸にいるわたしたちは、いつでも、しかも安価に本を読める。
読書の御利益2:
孤独に強くなる
長崎・諫早の作家野呂邦暢は、たびたび高校時代の失恋をモチーフにした作品を書いている。高校時代の恋人に、別れを告げられた。自分は受験に失敗し、職もなく、故郷を離れることが予感される。
高校時代、好きだった少女に誘われて学校近くの森に行った。その時少女から別れを宣言され、自分は明日からどうやって生きていけばいいのかと嘆息して頭上を見上げたら、樹木の葉の間から木漏れ日がさしている。緑の葉と日光がとけあった光景を見た瞬間、私は救われた気になった。美しいものがありさえすれば、自分は独りでも生きられるという恍惚感を覚えた。その日のことを日記に書いたが、書くことで客観的、かつ冷静になり、心が澄み渡るという気分になれた。(野呂邦暢「赤鉛筆を使わずに…」昭和五十年三月講演)
世界を、見る。平明な言葉に移す。野呂の、繊細で正確な文章を、ゆっくり読んでいるうちに、わたしも救われる。作家がそれによって生き延びた文章により、読者もまた、救われることがある。この世界には、必ず<外>がある。
現世利益第二は、不良になれるということだ。不良とヤンキーは違う。ヤンキーは群れる。不良は群れない。いつもひとりでいる。
世界から「ずれる」ことで訪れるもの
不良とは、「ずれる」ということだ。人と同じことはしない。人と同じことが、かっこ悪い。そう思ってしまう心性。たとえば、セリーヌ『夜の果てへの旅』(中公文庫)を好きになるということ。サド『悪徳の栄え』(河出文庫)を好きになってしまうということ。