――面白い選び方ですね。

 きっかけは模試の判定ですけど(笑)。仙台はいいところでした。薬学部は山の上にキャンパスがあって、4年生になって夜遅くまで実験していると、窓から見える星がすごく奇麗なんですよ。

――日本海側は曇りの日が多いですからね。

 そうなんですよ。それに、山だから少し標高が高いし、周りは暗いし。あの星空が卒業研究のときの思い出です。

 そのまま修士に進んで、気管支の炎症、つまり免疫系の研究をしました。そのときの教授は、私の博士課程の途中で定年退官を迎えるということがわかっていた。薬学の場合は博士号をとってから企業に就職する人もかなり多いですし、私自身はどうしようか迷っていました。准教授の先生に相談したら、教授が変わると不安定になるかもしれないから博士課程は別の大学院も考えたほうがいいとアドバイスを受けて、それでいろんな分野の総説とかを見て、神経(の研究)が楽しそうだなと直感的に思ったんです。

 現実的には入試に受からないといけない。全国の大学院入試の日程を調べたら、東京大学が一番早かった。だから東大を受けました。

■業績はないが「第一印象」で声をかけられた

――ほかの大学でも良かった?

 ほかの大学も見れば見るほど、ここいいな、と思うところはたくさんあったんです。だけど、決めかねるというか、たぶん、自分の性格的にはどこに行っても楽しい人なんです。

 ただ、東大の先生たちは優秀すぎて、私は研究者として無理かなって思ったときも結構あった。ところが、博士2年で研究会でポスター発表をしたときに出会った山下俊英先生(当時は千葉大学大学院教授)が、その2カ月後の日本神経科学学会で「うちに来ませんか」と声をかけてくださったんです。

 それまで何となく研究者になりたいと思っていましたけど、ふわふわしていた。声をかけていただいて、やっていこうという気持ちになったんだと思います。山下先生は、私が博士3年のときに阪大に異動され、それで私も阪大にポスドク(博士号取得後研究員)として行きました。

――山下先生はどうして声をかけてくださったんですか?

 それ、聞いたことがあるんですよ。「第一印象だ」って(笑)。そもそも私は博士課程から研究室を変えたから、業績ってなかったんですよ。「業績がないんですけど大丈夫ですか?」と聞いたのは覚えています。「大丈夫です」って言われて。

――へーっ。ポスター発表の内容が良かったんですかね。

 それは、覚えてないって(笑)。一生懸命発表していた様子は覚えていたみたいですけど。

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自覚ないんですが、「研究バカ」で(笑)