――子育てはどうしたんですか?
保育園のみで。
――ワンオペで?
はい。実は子どもが寝たあとは自由時間になるんですよ。夜、心置きなく解析とかデスクワークとかができるんです。
――え~、子どもってなかなか寝なかったりするでしょう。
いや、そんなに難しくなかったですね。「はい、寝るよ~」って言ったらすぐ。
――信じられない。普通は夜泣きをするんですけどねえ。
うちも泣いていたと思うんですけど、私が寝てて気づかなかったんです、たぶん。
――保育園はすぐに入れたんですか?
いや、待機児童が多かった時代で、ニュースでは私が住んでいた吹田市は「千人待ち」と言っていた。だから、出産前に無認可を探して「生まれたらよろしく」とお願いしておきました。認可保育園に入ったのは1歳の4月からです。
――その状況で、大阪にいるときに2人目も産んだ。
そのときはさきがけ研究員になったあとで、たぶんそのおかげで准教授になっていました。ただ、肩書が変わっても、大学でやっていることはほとんど変わりませんでした。授業は解剖学の講義と実習を何人かで手分けして担当していたのですが、これは私自身の勉強にもなって良かったです。
――夫は毎週、大阪に来てくれたのですか?
いえ、2、3週間に1度です。サンダル履きで新幹線に乗ってきました。子どもたちとは、パソコンのテレビ電話機能を使ってよく会話していました。
――2018年に東京・小平市にあるこの研究所に異動して、ようやく一家が一緒に暮らせるようになったんですね。
それが、私の着任直前に夫の米国駐在が決まって。
――え~っ!
だから、私はもし就職がうまくいかなかったら、米国に留学するのもいいかなと考えていました。
――彼はいつ米国に行ったのですか?
私が4月に着任して、その前に行きました。状況を知る知人は「旦那に逃げられた人」って言う(笑)。学会のキャリアパス(進路)セミナーなどで話す機会もあるんですけれど、そこでこの話をするとウケる(笑)。
――何年間米国に?
それはわかっていなかったんです。夫は研究員として入社しましたけど、知らないうちにビジネスの人になっていたんですよ。米国には駐在員として行った。最長5年という話で、だけど少なくとも私は何年か聞いていなくて、長くいそうな雰囲気が出てきたときに「ちょっとそれはどうなんだ」という話をしたら、帰ってきました。経緯はわかりませんけれど、東京勤務になりました。