東京・小平市にある国立精神・神経医療研究センター部長の村松里衣子さんは、大阪大学で働いていたときに関東地方で働く大学院時代の同級生と「遠距離結婚」をした。子ども2人をいわゆる「ワンオペ」で育てること約10年、それなのにインタビューの最中に「大変」という言葉は一度も出なかった。本人が自らを評して言ったのは「没個性」。いやいや、ほかの人と違う「個性」を十分にお持ちです。
脳やせき髄の神経回路が傷ついたときに修復させる力になるのは何か。その基礎研究で業績を重ね、今は約20人のメンバーとともに「神経難病を治す」という目標に向かう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)
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――ここは病院と研究所の両方があって、精神疾患や神経疾患などの治療や研究をするナショナルセンターです。敷地もとても広い。そこの神経研究所で神経薬理研究部の部長に2018年に就任されました。部長というのは、大学で言えば教授相当の職なんですね。
そうですね。私は博士号取得後10年間、大阪大学にいました。その間に結婚し、子どもを2人産みましたが、夫の勤務地は茨城県つくば市や東京でした。子どもたちが大きくなってきて、やっぱりお父さんが一緒にいたほうがいいかなと思って、関東で就職先を探しました。公募サイトで、「東京」をクリックして、職位は「教授」をクリックし、それと私の専門分野を入力して検索したら、パパーッと出てくるので、その中で場違いじゃなさそうなところにいくつか挑戦しました。
――いくつ挑戦したのですか?
時期がちょっとずれるんですけど、5カ所ぐらい出しました。
――それで最初に決まったのがここ?
いえいえ、ここが最後です。というか、ほかは大学に出したんですが、何でしょう、たぶん、求められる人物像ではなかったんです(笑)。その当時、上司に言われたのは「年齢」で、36歳とか37歳で大学の教授は「まだちょっと早い」と見られるって。でも、それでもあんまり気にせず応募しちゃうタイプなんですけど。