――初めて一緒に暮らすようになった。

 はい。しかもコロナ禍でしばらくしたら彼は在宅勤務になりました。一緒にいなかった人が一緒にいるというのは、なかなかだなあと(笑)。

――なかなか、なんですね。

 たぶん、向こうも同じことを思っていた雰囲気はありますけど。

――それでどうなりましたか?

 ま、優しいんです、相手が。なので、向こうが努力をしたんじゃないかなあという気がします。

――子どもたちに変化はありましたか?

 大人の数が増えて、出かけやすくなった、ぐらいですかね。意外と子どもたちは変わらない。仲良くしてます。3人きょうだいみたいな感じ(笑)。

――子育てでは「大変」という思いはなかったんですか?

 そうですね。なんか、気にしていないかもしれないです。気づいていない、というか。大阪では2人が違う保育園に通っていた時期があって、大学から歩いて5分のところに住んでいたのに、2カ所送ってから行くと1時間かかった。車なのに。そういうのに慣れていたので、あんまり悲壮感はなかったですね。

 東京に来てからの私の動線は、上の子を送り出す、下の子を保育園に送っていく、仕事に行く、下の子を迎えに行き、そのまま学童にいる上の子を迎えに行って帰る、でした。学童は夜7時まで預かってくれた。

――今は給食でしょうが、この先、中学や高校ではお弁当が必要になるかもしれませんね。

 どうしましょう。でも、自然解凍する冷凍食品、たくさんありますもん。

――晩御飯は作っているんですか?

 最近は全部、夫が作ってくれます。大阪時代は一応作っていました。出来合いをだいぶ買いましたけど。

 このシリーズのこれまでの記事を拝見すると、特色がある方が多いですよね。私、自分の特色って何だろうとすごく考えたんですけど、「没個性」かなと。あんまり特殊なことがないと思うんです。いわゆる“超エリート”でもないし。でも、なんかそういう人でも生き残れるっていうのが大事だろうなと思います。

――いや、「没個性」ということはないと思いますよ。何だろうな。一言で言えば「無計画」かな。

 確かに無計画です。直感で生きています。

――「研究バカ」という個性もある。

 最近はちょっと大人になった。研究は好きだし、楽しいんですけど、それでそれぞれの人たちが育っていくほうが楽しくなってきた。それと、製薬会社の人をはじめいろんな方とお話しするようになって、世界がすごく広がった。それが楽しいですね。

村松里衣子さん=国立精神・神経医療研究センター神経研究所の建物の前
村松里衣子さん=国立精神・神経医療研究センター神経研究所の建物の前

――目標は神経難病の治療薬の開発ですね。

 はい。すい臓からのホルモンは多発性硬化症の治療薬になりうると考えています。薬の開発は10年、20年とかかる。それを考えると、いま手元にあるものか、ここ数年で出てくる成果を自分が研究者をしている間に世の中に還元したいです。

村松里衣子(むらまつ・りえこ)/1980年福井県生まれ。2003年東北大学薬学部卒、2005年同大大学院薬学研究科修士課程修了、2008年東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、博士(薬学)。2008年から大阪大学大学院医学系研究科に所属、特任助教、助教を経て2014年から准教授。2018年から国立精神・神経医療研究センター神経研究所神経薬理研究部部長。2014年文部科学大臣若手科学者賞、2021年第5回AMED理事長賞を受賞。

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