■30年間の空白
山崎さんが「アサヒカメラ」のコンテストに写真を応募し始めたのは75年7月号から。その後、12月号まで連続入選。1位は3回もある。
「私と若目田さんの組み合わせがぴったんこだったんですよ。他の人もたまには入選するんですが、年度賞まではいかなかった」
ただ、山崎さんが作品を「アサヒカメラ」に応募したのはたった半年にすぎない。
「年度賞をとって目的を果たしたから、もうコンテストはそれで終わりにした。それ以降は撮ったり撮らなかったりになって、いつの間にか写真は尻すぼみになった」
会社の仕事が忙しくなったこともあったが、「その先はどうにもならなくなっちゃった」と言う。
「コンテストの次は写真展を開いたり、写真集を出すという段階になるわけなんですけれど、あの当時、私の実力ではそれはとても理解できないことだった。だから撮影をストップした。30歳くらいからまったく撮らなくなった」
一方、「60をすぎりゃあ、何とかなるだろう」という気持ちを漠然と抱いていた。
「それくらいの年齢になったらそうなるだろうと勝手に思っていた。若目田さんからそのうち連絡がくるだろう、とも思っていた」
■圧倒的に撮りにくくなった
実際、2007年に若目田さんの写真集『東京のちょっと昔―30年前の下町風景』(平凡社)が出版されると、山崎さんに連絡があった。
「その間、こっちは全く撮っていないし、若目田さんとは音信不通みたいになっていた。そうしたら、『本を出したからこいや』って。じゃあ、行ってみるか、と若目田さんを訪ねた。それがきっかけで、またぼちぼち撮り始めた」
撮影を再開するにあたって中古の一眼レフを購入した。
「要するに私は新品のカメラを買ったことがないんですよ。カメラは写ればいい。画質がどうとか、そういうのは全然気にしない。写っている内容の勝負だと思うから、難しいことは考えたことがない」
天気がよければ気分次第で撮影に出かける。撮るのは2時間程度で、それは昔から変わらないという。
「大体、午後2時とか3時ごろから撮り始めて、4時から5時まで。そんなもんですよ」
撮り方もちっとも変わらない。
「誰でもそうでしょう。一度、撮影スタイルをつくっちゃうとそこから抜けられない。どうあがいても無理ですよ」
ただ、撮影は昔と比べて「圧倒的に撮りにくい」と言う。
「今の時代は難しい。特に若い女の人なんかはダメでね。下手すると『何するんですか』って、言われちゃう」
■今撮っておかないと
最近は古い家屋を集中的に撮影している。
「今のうちに撮っておかないとなくなっちゃうと思うから、山手線をぐるぐる回って、片っ端から下りて、何かありそうなところを歩いている」
昔、面白かった場所の面影はほとんど失われているが、墨田区の京島から向島にかけてのように、当時の雰囲気が残っているところもある。
「そういうところを一応全部撮っておかないとね。あと10年くらいは元気だと思っているから、その間に写真集を出すのが目標。写真集は何十年も残るでしょう。まあ、こんな時代もあったな、って。それだけですよ」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)