■構えないで写真を撮る
山崎さんは高校時代、中古の一眼レフを手に入れた。天体写真を撮るつもりだったが、すぐに飽きてしまい、その後、スナップ写真を撮り始める。
「何となくですよ。難しいことを考えたことはない。ははは。カメラを持っているんだから、たまには撮るか、っていうわけですよ」
しかし、話が進むと「やっぱり、写真を始めたとっかかりは木村伊兵衛と(アンリ・カルティエ=)ブレッソンの影響ですよ」と、思い出したように言う。
二人はスナップ撮影の名手として知られる写真家である。特に木村の撮影は、出合い頭にスパッと撮る、「居合術」に例えられた。
「構えないですっと撮る、あの撮り方が好きだったんです。カメラ雑誌の特集で木村伊兵衛やブレッソンの作品を見て、こういう写真が撮れたらいいな、と思った。そこから始まっているんです」
■コンテスト写真なら下町
さらにもう一人、山崎さんに影響を与えた人がいる。やはり「アサヒカメラ」のコンテストの常連だった若目田幸平さんだ。
「73年ごろ、銀座4丁目で奇麗なお姉さんを一生懸命に撮っていたら若目田さんと出会ったんです。何となくしゃべっていたら、『今度、写真を持ってきなよ』と言う。それで電話して、自宅を訪ねた」
若目田さんは山崎さんより20歳ほど年上で、品川区大井町で豆腐店を営みながら写真を撮っていた。74年と77年に「アサヒカメラ」年度賞を受賞。78年には平凡社の準太陽賞を受賞した。
「若目田さんは面倒見がよくて、先生みたいなタイプだから人が集まってくるんですよ。毎月、撮影した写真を見せに行ったんですが、そこには必ず他に何人かいましたね。若目田さんが写真を見て、どれをコンテストに出すか、選ぶんです」
若目田さんが熱心に撮っていたのが東京の下町だった。山崎さんも下町に通うようになった。
「そこで撮った写真がコンテストを通ればいいや、っていう考えだけですよ」と、山崎さんはあっけらかんと言う。
「コンテストに出す写真を撮るなら下町しかないわけです。でも、今も同じなんですが、休日に行ってもほとんど人がいない。働いている人は休みになると出かけちゃうから子どもや高齢者が多かった。なので、たまに人と会うと撮影する。黙って撮るときもあれば、『下町を撮影しているんですけど、撮らせてください』と、頼んで撮影することもあった」